私見 ★「我々は何をしにこの世に生まれてきたのか?」について 2022/9/1 | imaga114のブログ

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私見

 

「我々は何をしにこの世に生まれてきたのか?」

このような文章があったことは知らなかった。

 

 

 

しかし、既出記事に聖書の秘密」として書いたことと酷似している。下矢印

 

 

 

 

私は自分が何者なのかは知らない。

ただ、とんでもない人生を歩んできたのは確かである。

 

もともと、他人を非難することが嫌いだった。

正しく生きたいという願望が強かった気がする。

 

 

 

結婚をしたあたりから、人生が急激に変化したのだろう。

 

私自身は属していないが、人生の「闇」を知る。

善悪の葛藤を否が応でも経験することになった。

 

自分で言うのもなんだが、間違ったことには激しく抵抗するあまり、時として厳しい言葉を使う。

心根はやさしい女性ではあるが、きつい女とみられていただろう。

 

人の意見はいったん聞く。

取り込むべきと感じたら、それが理不尽なことでも飲み込むことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは、個人の人生を告白する場ではないが、少しだけ書く。

 

昨年、突然最愛の主人を失った。

こんな私を応援するほどに、彼は変わったのだ。

実に普通のカッコいい男性であった。

しかし、将来の伴侶に私を選んだことで、彼の人生は最期に一転した。

 

もともとそんな魂を持っていたのだろう。

短いともいえる人生を歩み、多くの気付きを今でも与えてくれる存在になっている。

 

次元を超える感覚。

見えない世界。

究極の善と悪。

突然のひらめき。

 

など、それまで以上に感じている。

 

 

私には、また最愛の妹がいる。

全く性格が違っているのと、Divineからのギフトも違う。

彼女は、Divineにとても近い存在だろう。

彼の命を救えなかったというジレンマがあったのだろう。

もう、目を見張るほどのギフトをもらった。

今では、そこらのゴッドハンド以上の能力がある。

 

遠く離れていても癒しができる。

思ったことがそのようになる。

 

ただし、自分の家族には難しいのだという。

しかし、

ある意味、創造主になったともいえる。

 

究極の善悪を知ることが奇跡を生む。

 

 

 

 

魂が活きているということを知れば、「死」は存在しない。

 

 

※多くのコメントを頂いたが、承認しなかった。この場でお礼を言いたい。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

このことを書くということは、実際終了したということだろう。

私が感じたことを私見で書いてきたが、それは間違っていなかった。

それは、私ではなく、Divineからのメッセージだったのだろう。

潜在意識からの、DNAからの、メッセージ。

 

 

人間が人間であることを思い出す。

難しい学問ではないが、誰でも人間なら与えられる。

 

 

 

 

 

 

 

文中に人間の生き方として、この2つしかないとある。

「他者のために生きること」(ポジティブな道)

「自分のために生きること」(ネガティブな道)

 

そして、

「ネガティビティは学習のための道具なのだ」

 

人間を成長させるための、つまり人間がネガティブな道を選ぶことによって、つまり、もっぱら自分のために生きることによって、どれほど取り返しのつかないことになるかを、学習させるため

とある。

 

なんて勝手な言い分かというのは当然そうだが、それは違う。

善悪の中間の生ぬるい生き方をしている者には、「見せなければわからない」というQの言い分がある。

 

 

たとえば、今の極悪非道なアイツラを絶対に許せないから捕らえて処刑しろ、ミンチにしろ、というのは自らアイツラと同じ道をいくことになる。

 

なので私は、「消えろ」無かったことにしろといっている。

 

あながち、このHHが言っていることは真理なのかもしれない。

 

 

イルミナティはむしろ、神の命令を受けてこの地球へやってきた、「あなた方のための犠牲者」だと言っている。

いかに命令されてやったといっても、やったことの罪を償うカルマの法則は絶対で、逃れることはできないからだと言う。

 

 

 

振り子は振れ幅が大きいほど極から極にいく。

“変化”とはより高い現実に目覚めることである。

 

 

 

 

ロマーナのメッセージに

「自己愛」がある。

これをどう解釈するのか。

問題だ。

学びが足りないから「自己愛」なのか。

もう終わったから「自己愛」なのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ。

この主=ヤハウェーは、エデンの園を作って、人間を住まわせようとしたが、それ は「善意の牢獄」であった。

私は、この主=ヤハウェーは、「ゼウス」と書いた。

 

 

 


 

 

 

今の時は、学習失敗の清算の時(歴史サイクルの転換期)が来てしまった時である。

宇宙の原理を知る時がきた。

 

私にとってこの文章は、腑に落ちるものが多かった。

 

 

 

 

 

 

「我々はどういう世界に住んでいるのか?」 

既出記事下矢印

 

 

 

 

私見おわり