私見
「我々は何をしにこの世に生まれてきたのか?」
このような文章があったことは知らなかった。
しかし、既出記事に「聖書の秘密」として書いたことと酷似している。
私は自分が何者なのかは知らない。
ただ、とんでもない人生を歩んできたのは確かである。
もともと、他人を非難することが嫌いだった。
正しく生きたいという願望が強かった気がする。
結婚をしたあたりから、人生が急激に変化したのだろう。
私自身は属していないが、人生の「闇」を知る。
善悪の葛藤を否が応でも経験することになった。
自分で言うのもなんだが、間違ったことには激しく抵抗するあまり、時として厳しい言葉を使う。
心根はやさしい女性ではあるが、きつい女とみられていただろう。
人の意見はいったん聞く。
取り込むべきと感じたら、それが理不尽なことでも飲み込むことができた。
ここは、個人の人生を告白する場ではないが、少しだけ書く。
昨年、突然最愛の主人を失った。
こんな私を応援するほどに、彼は変わったのだ。
実に普通のカッコいい男性であった。
しかし、将来の伴侶に私を選んだことで、彼の人生は最期に一転した。
もともとそんな魂を持っていたのだろう。
短いともいえる人生を歩み、多くの気付きを今でも与えてくれる存在になっている。
次元を超える感覚。
見えない世界。
究極の善と悪。
突然のひらめき。
など、それまで以上に感じている。
私には、また最愛の妹がいる。
全く性格が違っているのと、Divineからのギフトも違う。
彼女は、Divineにとても近い存在だろう。
彼の命を救えなかったというジレンマがあったのだろう。
もう、目を見張るほどのギフトをもらった。
今では、そこらのゴッドハンド以上の能力がある。
遠く離れていても癒しができる。
思ったことがそのようになる。
ただし、自分の家族には難しいのだという。
しかし、
ある意味、創造主になったともいえる。
究極の善悪を知ることが奇跡を生む。
魂が活きているということを知れば、「死」は存在しない。
※多くのコメントを頂いたが、承認しなかった。この場でお礼を言いたい。ありがとうございました。
このことを書くということは、実際終了したということだろう。
私が感じたことを私見で書いてきたが、それは間違っていなかった。
それは、私ではなく、Divineからのメッセージだったのだろう。
潜在意識からの、DNAからの、メッセージ。
人間が人間であることを思い出す。
難しい学問ではないが、誰でも人間なら与えられる。
文中に人間の生き方として、この2つしかないとある。
「他者のために生きること」(ポジティブな道)
「自分のために生きること」(ネガティブな道)
そして、
「ネガティビティは学習のための道具なのだ」
人間を成長させるための、つまり人間がネガティブな道を選ぶことによって、つまり、もっぱら自分のために生きることによって、どれほど取り返しのつかないことになるかを、学習させるため
とある。
なんて勝手な言い分かというのは当然そうだが、それは違う。
善悪の中間の生ぬるい生き方をしている者には、「見せなければわからない」というQの言い分がある。
たとえば、今の極悪非道なアイツラを絶対に許せないから捕らえて処刑しろ、ミンチにしろ、というのは自らアイツラと同じ道をいくことになる。
なので私は、「消えろ」無かったことにしろといっている。
あながち、このHHが言っていることは真理なのかもしれない。
イルミナティはむしろ、神の命令を受けてこの地球へやってきた、「あなた方のための犠牲者」だと言っている。
いかに命令されてやったといっても、やったことの罪を償うカルマの法則は絶対で、逃れることはできないからだと言う。
振り子は振れ幅が大きいほど極から極にいく。
“変化”とはより高い現実に目覚めることである。
ロマーナのメッセージに
「自己愛」がある。
これをどう解釈するのか。
問題だ。
学びが足りないから「自己愛」なのか。
もう終わったから「自己愛」なのか。
もう一つ。
この主=ヤハウェーは、エデンの園を作って、人間を住まわせようとしたが、それ は「善意の牢獄」であった。
私は、この主=ヤハウェーは、「ゼウス」と書いた。
今の時は、学習失敗の清算の時(歴史サイクルの転換期)が来てしまった時である。
宇宙の原理を知る時がきた。
私にとってこの文章は、腑に落ちるものが多かった。
「我々はどういう世界に住んでいるのか?」
既出記事
私見おわり