FB片桐氏情報 コルナサインを出す芸能人 ゼロとは何か  | imaga114のブログ

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片桐 健二

 
半世紀以上かけて容易周到に用意された2020年世界的コロナパンデミック計画が始まってから露骨なハンドサイン「コルナサイン」を出す芸能人が増えた原因とは?
朝番組が露骨な理由とは?
爆笑問題がサンマを凌ぐ異例の番組ジャックを次々と成功させ続けている秘訣方法として、毎日テレビなどの番組が終わって帰りの廊下や控室などで爆笑問題の田中が出会う全員に対して、フリーメイソン挨拶のシンボルであるコルナサインという人差し指と小指だけを突き立ててみせるフリーメイソンサイン活動を毎日習慣のように、テレビ関係者に意図的に見せつけ続けてきたことによって、全テレビ局関係者が爆笑問題を特別扱いし始めたという噂を以前より耳にしてきた。
しかし、昨日日曜日の午前中の番組内で爆笑問題の田中自身が「ネコのマーク」との表現でごまかしながらも、実際にテレビ局内で常にコルナサインと全く同じ作法の手の形を作り見せつける活動を行ってきた事実を自身の口で紹介している番組が放映されていて驚いた。
フリーメイソンの幹部が以前より西野氏をフリーメイソンのメンバーに勧誘したがっているらしいと言う噂を耳にした時も以下に転載するような内容の勧誘が実際に行われたというが真相は如何に?
「フリーメイソン幹部の高須院長が番組内で堂々と西野を勧誘?」
以下転載
高須は「僕、前に脱税で捕まったことがあるんだけど、捕まった理由は“監督者責任”。確定申告書を見たこともサインしたこともなくて、経理に任せっきりだったからなんだよ」と、失敗談を明かした。しかし、この件がきっかけで前科のある友人が増えたと話し、「今ハッピーなんだよ。“春の前科者祭り”っていうのがあって、前科ある人だけ集まってパーティーするの」と、楽しげに語った。また、番組内で西野は、高須が民進党の大西健介議員と蓮舫代表を訴えるというツイートを発見。
西野が詳細を尋ねると、高須は衆院厚生労働委員会において、大西議員は悪徳美容外科の広告に関する質問の中で、
高須クリニックのCMを「陳腐だ」と発言し、加えて「陳腐なCMを流している悪徳美容外科」と紹介されたと説明。
これ対して、高須は、大西議員と党代表の蓮舫氏を名誉毀損で訴え、損害賠償を請求している最中と明かした。
この騒動のツイートを調べていくと、あるTwitterユーザーによる「高須院長が大西議員を訴えたことはやりすぎだと思うか?」というアンケートを発見。アンケート結果は、94%の回答者が“高須院長を支持”と投票されており、これを見た高須は「僕の圧勝だね」と満足げな様子を見せた。そして番組終盤、“高須院長”の名前で検索する中、「フリーメイソンの本当の正体は? 幹部会員の高須院長に聞いてみた」というタイトルの記事がヒット。驚いた西野が「フリーメイソンの幹部なんですか!?」と確認すると、高須は「幹部だよ」と認め、続いて西野から「フリーメイソンってどんなことしているんですか? 都市伝説に出てくる、謎めいた悪い組織みたいなイメージがあるんですが」と質問すると、高須は「何も悪いことしてないよ。でも表立って活動内容を言わない協議があるんだよ」と説明。続けて「もともと、ある慈善団体に入会していたんだけど、
『つまらないな~』と思っていたの。そしたら会員の人に『実はこの団体は、フリーメイソンについていけず、はじき出された人たちで作ったんです。本当のエリートはフリーメイソンに入るんです』って聞いて、フリーメイソンに入ることにしたの」と入会の経緯について語った。
高須は、フリーメイソンに入会するには、かなり難しい試験を突破しなければならないと話し、また、幹部になるのにも難しい試験をクリアする必要があると説明。
日本のフリーメイソン「日本グランド・ロッジ」の会員数は、日本人だけで約200名、外国人も含めると2200名ほど。外国人が多いため、英語ができないと試験を受けることもできないとのこと。西野が「じゃあ僕が入会して、試験でいい成績残し続ければ高須院長より上に行けるんですか?」と目を輝かせると、高須は「システムは相撲と同じで、最初はちゃんこ鍋作るところからスタートするんだよ。詳細は入会したら教えてあげる」と語った。
 
 
 
 
2021/5/15  4:57
 
ゼロとは何か?
という課題の投稿が何故かフェイスブックの規制対象になったために改めて再度投稿します。
「ゼロ」とは何か?
「無」とは何か?
「極限」とは何か?
「白」とは何か?
「黒」とは何か?
「闇」とは何か?
「不可説不可説転数」とは何か?
人類が定義する数の限界極致表現の「不可説不可説転数」と一般的に知られる「無定量数」の差に対する理解とは何か?
誕生直後の宇宙は、熱くて濃い「素粒子のスープ」のような状態と言われますがその「素粒子のスープ」の先にある身動きすら不可能な満杯状態における素粒子停止状況の「無」とは何か?
「黒い色」という物がこれ以上、何も加えることが出来ない状態
であるとするなら、
「白」という多様な色彩を書き込み可能な状態を状態をどのように定義するべきなのでしょう。
宇宙の始まりは思考するとは、「不可説不可説数」の先にある素粒子の状態を思考することでしょう。
「ゼロ」を思考することは、とりあえず定義完結しているどのような数字を思考することよりも難解です。
0をどうして0で割ってはいけないのか?
この難解な質問を「567→枠知ーン」を打つことを決めている人と、打たないことを覚悟している人のそれぞれに質問してみると面白い結果を得ることが出来る。
それは「適当」という言葉の意味を質問した時の返答によく似ている結果だった。
「567→惑知ーン」を打つことを決めている人の多くが「適当」とは「でたらめ」という言葉に類似した意味で解釈している人が多い。
「いい加減」という意味についても同じような答えが返ってくる。
それに対して、「567→枠知ーン」を絶対に死んでも打たないという人の返答は真逆の答えが戻って来る。
「適当」とは「図星のあたりまえ」という意味であり、「いい加減」は弓の的へのジャストミートの図星へのあたりを表している。
*「図星」というのは、弓の的の中心点の意味ですから「当たり」を表します。
「当たり前」という言葉に松下幸之助は徹底的に拘ったとされています。
口癖のように「当たり前を徹底的にやれ!」と言い続けたと言います。
「図星」の的の意味を知り、的に当たる直前をイメージして物事を進めていく「当たり前」の意味は、多くの人が誤解して使用しています。
もちろん、歴史の為政者たちが民衆に物事の図星を知られては都合が悪いという事情から、真逆の理解を受け入れるように徹底的に仕向けられてきた成果だから仕方がないことかもしれませんが、その権力者共同謀議勢力の洗脳の頭のままで、567→枠知ーン」の本性を見極めることは困難を極めることでしょう。
そして、2020年世界的パンデミックをトリガーとする計画通りに人類は5億人を切るまで際限のないゾンビとの戦いが繰り返され続けることでしょう。
「枠知ーン」接種済みを徹底的に自己正当したいことで必死になる仲間づくりがゾンビの映画のように一気に拡充していく社会において何が真実なのか、何が正しのかはもう関係がなくなるのです。
どのようなことがあろうとも自身が選択してしまったことへの自己正当を自身の家族や知人だけでなく、自身が関わるすべてに押し付けようとしている現在の社会状況は、今後益々エスカレートしていくことでしょう。
最終的には、宗教戦争でもなければ、国家間戦争でもない、感染戦争、「567→枠知ーン」賛否論者との戦争にまで発展することになろうとしていくことでしょう。
567惑沈をすでに射ってしまった人からすれば、567惑沈を射っていない人がゾンビに見えてくるし、逆に一度567惑沈を取り込んだ人は567遺伝子が自身の遺伝子に取り込まれてしまうことで「567→枠知ーン」接種者の免疫力が根本的破壊されるだけでなく、その子どもが「567→枠知ーン取り込み遺伝子」の子どもとして永久的に子孫累々と影響を受け続ける一族を形成し、周囲の人々に新たな脅威を振りまくゾンビにしか見えてこないという状態になろうとしていくです。
まさに人類削減計画の権力者共同謀議勢力の思い通りの狙いの世の中が形成されます。
567自体が実際には存在すらしておらず、ただの「インフルエンザA型」だということ事を「枠知ーン」を打ってから知ったとしても、もう「567→枠知ーン」を打ったことへの自己正当の言動が止まることは無いでしょう。
「corona」の各英字の順番の数字の合計が「666」意味が理解できたとしても、コルナサインが「666」の意味であることを知ろうとも一度取り込んだら最後2度と体外に排出されることなく遺伝子自体に組み込まれ子孫累々に影響を与え続ける「567→遺伝子枠知ーン」の本性に向き合うことは無く、ただ人口が5億人以下になるまで続く生き地獄の中をさまようことになるのでしょう。
以下転載
0を0で割れない理由を解説
割り算で子供に「どうして0で割ってはいけないの?」「なんで0で割れないの?」と聞かれたらどう答えますか。
まちがっても「そう決まっているの!」などと乱暴なレスポンスをしてはいけません。丁寧に答えてあげたいものです。
目次
いい質問だ!
そもそもこの質問はとても自然で大切な質問です。
まずは「いい質問だ!」「おもしろい質問だ!」と褒めてあげましょう。そして、どこがいい質問で、何がおもしろいのか、解説してあげましょう。
例えば、60(km/時)とは60/1(km/時)のことで、1時間で60km進む速さのことです。
すると、60/0(km/時)とは0時間で60km進む速さを意味することになりますが、そのような速さは存在しません。
なるほど、60÷0を電卓で計算してみると「E」が返ってきます。iPodの電卓アプリで同じ計算をすると「エラー」が表示されます。
0で割る計算には答えが存在しないことが電卓では「E」「エラー」を表しているようです。
error(エラー)とは、一般には誤り、間違い、誤解、過ちといったことを意味します。数学では誤差という意味で用いられる場合もあります。
60÷0=E(エラー)とは、誤り、間違い、誤解、過ちを意味するのでしょうか。
かけ算で考える
まず割り算とは何かをもう一度考えてみるところから始めてみましょう。
×(かけ算)→ ÷(わり算)
2×3=6 → 6÷2=3
このように割り算があればその前にかけ算があると考えることができます。割り算にかけ算が対応しているということです。
0で割るわり算「3÷0」に対応するかけ算を考えてみます。
かけ算 → わり算
?  → 3÷0=?
すると次のようにかけ算の式を考えることができます。
かけ算   ← わり算
0×?=3 または ?×0=3 ← 3÷0=?
つまり、割り算の式の?を考える代わりに、かけ算の式の式の?を考えてみるということです。
0×?=3とは、0に何をかけたら3になるか?ということです。
そんな数はない! そうです、3÷0の答え?は「ない」です。
しかし、これで終わりません。0で割るわり算のちょっと面倒なのはここからです。
0÷0は特別
0を0で割るわり算です。同じようにかけ算の式を探してみます。
かけ算 ← わり算
?  ← 0÷0=?
すると、次のようになります。
かけ算 ← わり算
0×?=0または ?×0=0  ← 0÷0=?
かけ算の式の?に当てはまる数を考えます。おもしろことに?に当てはまる数はいくらでも見つかります。
かけ算   → わり算
0×0=0  → 0÷0=0
0×1=0  → 0÷0=1
0×2=0  → 0÷0=2
0×3=0  → 0÷0=3
…    →   …
つまり0÷0の答えは「無数にある!」となります。
0で割れる!
以上から、「どうして0でわっていけないの?」の問い自体が修正を迫られます。そもそも「0でわる計算を考えることはできる」のです。
「いけない」というのは、許されないというニュアンスです。0でわるわり算はそれ以外のわり算と同じように考える(計算する)ことができる(許される)のです!
しかし、その結果が他の計算(0で割る計算以外の計算)と大きく異なるという違いがあります。
答えをまとめてみましょう。
0以外の数÷0の場合  3÷0=答えなし
0÷0の場合  0÷0=すべての数
a÷0は定義できない
以上が小学校6年生に何とか説明できる解説です。これを大人向けに答えるとどうなるかをつづけましょう。
結果は他のわり算6÷3=2、0÷5=0のように答えが1つ決まる計算とは異なります。
「0で割るわり算」は「計算できない」ではなく、「計算(演算)が定義できない」が正しい表現です。
「計算(演算)が定義できる」とは、3+5、6-4、8×3、6÷3のように「答えが一つに定まる」ことをいいます。
a÷0という計算は、答えが2通りになります。a÷0は、答えが一つに定まらない(存在しない)計算です。これを数学では「計算(演算)が定義されない(できない)」と表現します。これが「0で割ってはいけない」の正体だったのです。
aが0以外の場合は、a÷0は存在しない。 aが0の場合は、a÷0は無数に存在する。 したがって、わり算a÷0は定義されない。
このように答えを返してくる電卓があってもいいと思います。7÷0には「存在しない」、0÷0には「すべての数」と返してくる電卓アプリです。
「計算が定義されない」なんて学校の数学にはでてきません。それはそうです、小学校から習う計算のすべては「定義できる計算」だけなのですから。
わざわざ答えが一つに定まらない「定義されない計算」など学校では扱いません。結果として「定義できる計算」だけが安心して教えられます。
ということは、計算(演算)は、定義できるかできないかが確かめられていることでもあります。
分数の四則のルールはなぜそれぞれあのように決まっているのでしょうか。実は四則すべてがきちんと「定義された」計算なのです。
だから安心して分数の計算ができます。本当はいちいち説明できるのですが、残念ながら学校でそこまで踏み込むことは容易ではありません。高校数学でもそのことには触れられません。
分数の四則が定義された演算であることの証明はそのうち紹介しようと考えていますが、まずは算数の教科書をもう一度読んでみることを奨めます。大人だから見つけられる疑問がいくつも隠れています。