痛快投稿、さすが野村さん! 授業科目は「算数」だった。 ブラックホール やかんなの?ほか | imaga114のブログ

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2021/2/17 8:47
 
その昔、末娘の参観日の話。
授業科目は「算数」だった。
先生が問題を出す。
(先生)「はい、この答えが分かる人〜!」
(児童)「はい!「はい!」
親が来ているから、子供たちの挙手も活発だ。
先生が児童を指名する。当てられた児童は嬉しそうに頬を少し紅潮させて、
(児童A)「答えは、◯◯です!」
正解だ。
クラスの児童が一斉に唱和する。
(児童一同)「同じですっ!」
へ?
「正解です」じゃないの?
「同じです」なのね、最近は。ふーん・・・。
(先生)「はい、じゃあ今度はこの問題が出来る人〜っ?」
指名された児童。
(児童B)「はい。こたえは△△です」
残念。
それは不正解だ。
クラスの児童が一斉に唱和する。
(児童一同)「他にありますっ!」
は?
「他にある」って意味は、その意見も当たってるけど、見方によっては別の意見もあるよ、という意味の時に使う言葉だろ。
ちょっとまてよ。
算数や数学の答えはひとつしかない。1+1=2であって、3とか4はない。
だから算数なんだよ?
だから唱和すべきは他にありますじゃなく、
「違います」
でしょ?
とても違和感があったので、参観終了後に先生に尋ねてみた。
すると、先生に怪訝な顔をされて言われた。
「違います、って言ったら間違ったと思ってその子が傷ついてしまうじゃないですか?傷ついたら次から発表しようという勇気がなくなってしまうんですよ?だから違うといって否定させないほうがいいんです」
何言ってんだ、このバカ教師。
違いますと言われたら傷つくんなら、教えるべきは「間違えることは恥ずかしいことではない」なんじゃないのか?
そう主張して帰って来た。
その後、10年以上経つが、ご近所の子供に聞くと今も改められた形跡はない。
ゆとり教育の問題は学力低下など些細な問題だ。
そんな事は、まだ後でどうにでもなる。
問題点は、こういうヘンテコリンな価値観が学校やPTAの中に蔓延したことだ。
ハッキリしなきゃいけない時に白黒つけられない大人が、子供の教育など出来るはずがないのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
2021/2/10 114:28
 
広島市民全員に巨額の税金を投入してPCR検査を実施する事を決めた、世界に冠たる科学音痴の広島県知事と県議会。
日本中の専門家に笑われているが、とうとう菅総理に、
「全員を対象とするような大規模検査は、かなりのコストと医療資源が必要になる一方、検査に時間を要するほど、検査で陰性になっても、その後に感染する可能性が高くなってしまうことに留意が必要」
と言われた。カンタンにいうと、
「そんなに金かけて全員検査なんかしてどうするん?医療現場混乱させるだけだし、検査場自体が密になって逆にそこで感染するリスク上がるし、検査後に感染するかも知れんし何考えとるん?」
という意味だ。
総理にまで苦言呈されてからに。全国にバカっぷりご披露。
全くもって恥ずかしい…。
そんでもって、実施しようと思ってるうちに感染者が自然減になって結局中止になるんだそうだ…。
で、悔し紛れに夜の繁華街でだけ実施する模様だが、そこはいまゴーストタウンだからそもそも人が歩いていない。そして広島ではそこしかない夜の街ほど人が広域移動するから、感染源の特定すら難しい。
そんなところだけでやっても金の無駄だし気休めにもならん。
てか、そもそも一部地域だけじゃ無意味だと言って全員検査とか世迷いごと言い始めたくせに、既に実施前からもう自己矛盾。理論破綻。
感染症の知識もなければウイルスの事も知らなければ、統計も数理計算も出来ないようだ。
一部の「専門家」の机上の空論だけを鵜呑みにした全国でも稀なお間抜けな県知事と議会。
こんな間抜け達に広島の県政を委ねてたのかと思うと、コロナよりそっちの方が広島にとって危険なんじゃないかという気がしてくる。
もうこうなったら冥王星に蹴り飛ばしても足りないので、ブラックホール先生に議事堂と県庁ごと吸い込んで貰おうと思う。
 
 
 
 
 
 
 
2021/2/9 19:10
 
アップルのパソコンのMacBookだのGoogleフォトだのにはAIが莫大な写真ストックの中から顔認証で自分が写ってる写真を見つけて来てくれるとても便利な機能がある。
面白いのは兄弟姉妹だと時々間違えて兄や妹の写真を拾って来たりする。やはり似てるのだろう。遺伝子は争えない。
なのになぜかワシの場合だけ、ヤカンとか土瓶とか誕生日ケーキのロウソクの炎の部分を拾ってくる。
そしてご丁寧に光沢反射や光源の部分に四角い枠でフォーカスして「あなたですか?」
おい。ワレ、ゴラアア。
ぬわにが「あなたですか?」じゃボケ。
ワシであるわけねーだろ、このバカAIめが。
ワシの頭見て丸くて光沢のある物を拾って来るんじゃねーよ。
似てねーし。てか、もはや人ですらないだろーが、このハゲ。
 
 
 
 
 
 
 
 
2021/1/30 15:29
 
ごちそうさまの経済学。
食前の「いただきます」は食材となった命を「頂く」感謝の言葉。
食後の「ごちそうさま」は「ご馳走様」。その食材を作るため、集めるために働き、走り回って(馳走)くれた全ての人達に想いを寄せ、感謝する気持ち。
運ばれてきた食事を食べながら、目の前の食事が自分に届くまでに一体どれだけの人が働き汗を流し関与した結果、今、ここにあるのか。
そこに想いを馳せ、多くの人々の営みによって自分は生かされ、支えられているご縁の不思議さや、ありがたさを食事と共に噛み締める。
そんな素晴らしい意味を持つ言葉だ。
飲食店が休業閉店に追い込まれる。すると食材卸業、市場、運送業などなど数多くのそれに関与する業者も大変な事になる。もちろん生産者も。もともと薄利で頑張っていた農家はあっという間に廃業に追い込まれる。その結果、田んぼや畑が休耕地になる。そしてそんな農地を、今バンバン中国の企業が買い漁っている。
コロナ狂騒もそろそろ冷静にならないと100年の後悔を残す事になる。
今のままなら、いつの間に日本の食が中国企業の統制下に入ってしまう日も遠くないだろう。
経済学者アダム・スミスは経済を称して「神の見えざる手」と言った。
神?
そうだろうか?
ワシは経済は「人の見えざる手」ではないかと勝手に思っている。
「ごちそうさま」を言うたびに、経済は感染症学者が考えてるほど単純で簡単な構造ではなく、様々な業種と業者が相互に支え合い、影響し合っていることを思い出さなくては、と思う。