★第十九章 大衆とは「ものを考えない人」 | imaga114のブログ

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宮崎正弘氏の情報ですが、これはアジアの国々の今と紹介の内容です。

毎日のニュースとは少し違いますが、興味深い内容を含むので

振り返って掲載します。

 

 

第一部 暴走老人 西へ(19)

第十九章 大衆とは「ものを考えない人」

 ▲文革の悲劇は風化していない

 筆者がしょっちゅう北京へ通っていた頃、日本人特派員も猛者揃いだった。

 

産経は古森義久総局長のあとを受けて、のちに『トウ小平秘録』をまとめる伊藤正(元共同通信)が総局長、ここに福島香織、矢板明夫氏らがいた。

 

いまやチャイナウォッチャーで精力的な著作にはげむジャーナリストである。

 

 

北京で食事会を伊藤正氏がよく主宰してくれたが、ここにある時は石平氏、?山正之氏が加わり、講談社北京副社長だった近藤大介氏が参加したこともあった。

 

また或る会合では読売の浜本良一氏(秋田国際大学前教授)、日暮高則氏(『こんなに脆い中国軍』、時事通信)や日本テレビOBの高橋氏らもジェトロの人たちとの食事会に加わるから喧噪なお喋りとなる。

 

 

 江沢民時代の後期から、胡錦涛の時代まで十五年ほどは、日本の新聞特派員は、どこへ行っても臆することなく、かってなお喋りを楽しめた。

 

いま回想すれば、まことによき時代だったと言える。

 

 

 毎日や朝日の北京特派員とも意見を交換したことがある。

 

一般論だけれども、かれらは本社に記事を送っても、採用にならない情報だとわかっていたら、北京からは送信しない。

 

その分は月刊誌などに匿名の記事を書くのである。ハニートラップに引っかかった特派員も何人かいるが、その連中は自然と周囲に知れ渡るから、寄り合いからはじかれるようになる。

 

それが北京における日本人特派員の、しずかな掟のようなものなのである。

 

 

 

 がらりと状況が変わったのは習近平になってからだ。

 

習近平は自由とか人権とかを怖れるかのように、自由派弁護士を二百名以上も拘束し、民主活動家を一斉検挙し、特派員の監視強化となり、爾来、あつまっても小声で喋るようになった。

 

 したがって筆者も2013年秋を最後に北京には寄りつかない。

 

近平政権が終わるまで、たぶん行かないことになるだろう。

 

 

 

 全体主義の危機を感じない鈍感な人々が日本には多い。

 

 哲学者のオルテガは大衆を識別し「ものを考えない人」と鋭い譬喩で批判した。

 

こういう種族が社会の多数となると、いつでも全体主義国家へ転落する罠が仕掛けられる。

 

 

 ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883-1955)は前世紀半ばまで存命したスペインの哲学者だ。

 

マドリッド生まれ、ドイツへ留学し最初はカント哲学から入った。オルテガが際立って自由主義を鼓吹したのはソビエトのボルシェビキ革命を「野蛮状態への後退」であり、「原始主義」だと本質を突いた批判の鋭さによる。平明に簡潔に全体主義のもつ非人間性の魔性を衝いた

 

 オルテガは「ロシア革命は人間的な生の開始とは真逆」であり、これを礼賛する無知な大衆は、「欲求のみを抱き、権利だけを主張し、義務のことを考えない」、したがって「自らに義務を課す高貴さを欠如させた人間」であるとし、その中には科学者などのエリートも加えた。

 

 

 これを日本に当てはめると、それこそ東大教授を筆頭にごろごろいて、名前を書ききれない。進歩的文化人って、退歩的自称文化人のことだ。

 

 自由とは科学的心理ではない。自由とは運命の真理だとオルテガは説いた。

 

 

 ソルジェーニツィンは「共産主義とはすなわち嘘が不可避的な体制である」と言った。

 

つまり「共産主義とは生命の否定であり、国家の死に至る病」なのである。

 

 現代中国はまさにそれである。

 

 

 

 

 ▲知識人は一斉に欧米に亡命した

 百家争鳴、反右派闘争、文化大革命により、次々に政敵を粛正し、およそ六千万人の人民を処断し、そうやって血の海の中から恐怖の政権基盤を固めたのが毛沢東だった。

 

 毛沢東は官僚や知識層を心底嫌悪し、独裁政権の邪魔となる政敵、軍人ばかりか、伝統的な中華の制度や文化を破壊した。

 

ところが毛沢東は中国のすべての紙幣に肖像画が描かれ、天安門広場にはミイラ化した柩が置かれ、英雄といまも崇め奉られている。

 

中国人は根っから独裁者が好きなのかも知れない。

 

 

 共産革命に軍功のあった九人の将軍らも、用済みとなれば、さっさと左遷するか、獄にぶち込み、冤罪をでっち上げて粛清した。

 

 毛沢東の死後、左遷先から呼び戻される形で「最高実力者」となった?小平は共産党総書記と国家主席とを分離し、経済政策の決定権は国務院の専管事項とした。

 

 改革開放が始まり、中国人の目が輝き始めた。

 

 

 

 胡錦涛時代、経済政策は温家宝首相に全面的に依存した。集団指導体制が取られたのは毛沢東個人崇拝という独裁の危険さを身に染みて体得したからだった。

 

 独特の中国的社会主義市場経済の実現という実験にトウ小平は取り組んだ。

 

独裁から集団指導体制への移行、すなわち毛沢東時代の否定が行われ、庶民は喜んだ。

 

以降、江沢民、胡錦涛の時代を経てがんじがらめの監視態勢は徐々に緩和されていた。

 

 

 

 

 

 この期に挟まるのが、1989年6月4日の天安門事件である。

 

 民主活動家、知識人が地下ルートを頼りに欧米へ亡命した。ウアルカイシ、王丹、柴玲、厳家基らは外国に拠点を置いて中国批判を続行し、石平は日本で言論活動、猿木は豪で、某々は某国で。。。

 

 

 この列に日本で活躍する女流作家も加わってきた。

 

「中国共産党の大罪」を絶対に許さないと中国人の芥川賞作家、楊逸さんの大胆な発言に注目が集まった。

 

楊逸『わが敵 習近平』(飛鳥新社)がそれだ。

 

日本人作家なら誰もが思っていることであり習近平を悪魔と考えている人が大半だろうと思う。

 

 

 しかし中国人の発言は決死度がことなる。

 

中国に残された家族や、親戚に累が及ぶ懼れがあるために、言いたくても言えない。無言の抑止力が機能するからだ。多くが沈黙している。

 

あるいは米国へ再度、亡命し、ようやく自由は発言を得られると、民主化運動に邁進できる。日本にはそうして自由が大幅に、目に見えないかたちで制限されている。

 

マスメディアが中国の暴政を正面から批判しないではないか。

 

 

 しかし哈爾浜出身の作家、楊逸さん、ついに怒りを爆発させた。

 

港デモに対する目を覆うような香港警察の血の弾圧、コロナ禍で中国を地獄に陥落させ、同胞人民を殺し続ける共産党政権を、どうしても許せない。

 

 自らの幼少期の過酷すぎる下放体験の記憶と、今の苛烈な人権抑圧の状況を重ね合わせながら、楊逸女史は文学者として、日本と世界の人々に、中国における自由と人権の侵害に抗い、状況が改善するよう働きかけてほしいと呼びかけるのである。

 

 

 

 

 ▲習近平の自由への敵視、妄想が危機を深めた

 2013年3月に国家主席となった習近平は官僚的な諸制度や、権力の過度な集中を防ぐ機能があった集団指導体制を転換させ、毛沢東時代のような独裁政治を志向する。

 

歴史への逆行である。

 

全体主義独裁への遡行、時代錯誤である。

 

 

 2017年10月に開催された中国共産党第19回全国代表大会で、習近平国家主席は、「中華民族の偉大なる復興」をスローガンに掲げ、「中華民族が世界の民族の中にそびえ立つ」などと無内容なことを3時間半にわたる演説でやってのけ、隣に座っていた江沢民は欠伸をしていた。

 

 同時に党規約に「習近平思想」が盛り込まれ、カリスマ性も附帯せず、実力を伴わない看板を自らが掲げて悦に入った。

 

 

 

 2018年3月の全人代では国家主席の任期制限を撤廃、2023年以降も続投が可能に組み替えたため、知識人や学生の多くが失笑した。

 

 「腐敗撲滅」の美名の下、次世代のリーダーとなりそうな政敵や軍人を次々と失脚させた。最大のライバルとされた薄煕来を皮切りに除才厚、郭伯雄ら江沢民派軍人を逮捕し(除才厚は病死、郭伯雄は終身刑)、胡錦濤派だった氾長龍ら参謀総長と軍事委員会副主任までも逮捕させた。

粛正された軍人は将軍クラスで約100名、幹部クラスで4000名余り。軍の不満は堆積し、深く沈殿する。

 

 

 

 2020年のコロナ災禍で、三月の全人代を五月に延期しつつ、いま香港へ安全法を押しつけて一国両制度を葬り、台湾武力統一を宣言しているのも、内部の矛盾をすり替える作業の一貫だろう。
 全体主義の恐怖政治が中国に復活した。