★第七章 広州から華南へ南西へ | imaga114のブログ

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宮崎正弘氏の情報ですが、これはアジアの国々の今と紹介の内容です。

毎日のニュースとは少し違いますが、興味深い内容を含むので

振り返って掲載します。

 
第一部「暴走老人 西へ」(7)

  第七章 広州から華南へ南西へ

  ▼あの事故から九年の歳月が流れたが安全性は向上したのか?

 世界に衝撃をあたえた中国新幹線事故(2011年7月、温州近郊)の後も、筆者はひたすら全線踏破のためにどこそこ区間開業ときけば、そこへ飛んで新幹線に乗り続けた。
 
 「さあ、これで全部乗った」と思いきや、またも次の新線が開通しているので、まったく際限がないのである。
 
この原稿を書いている2020年六月時点で営業キロは25000キロだが、中国新幹線はあと6000キロを増設のため建設中だ。
 
要するに小生が目の黒いうちに「全線踏破」という目的は達成できそうにない。

さて珠海ー広州に繋がる新幹線に乗るため旧ポルトガル領のマカオへ入った。香港からフェリーで一時間。三年ぶりのマカオは繁栄の最中、どえらい高層ホテルが林立しているが、これすべてが二十四時間不夜城のカジノである。 
 
 マカオのギャング団は返還直前の1996年まで血で血を洗う凄まじい抗争を繰り広げ、真昼からピストルを撃ち合い、ダイナマイトを投げ合った。
 
99年12月、マカオ返還とともに中国人民解放軍が進駐するにおよんで、しばし沈静化してきた。
 
 
 1999年までマカオのカジノと言えば、先月98歳で大往生を遂げたスタンレー・ホー(何鴻栄)一族の独占、リスボア・ホテルしかなかった。
 
2002年に新築カジノの入札が行われ、外国資本の参入が認められ、爾後のマカオは世界一の博打場になった。
 
24時間、きらびやかなネオンが輝き、町は不夜城。ホテル内のカジノでははてしなく勝負が続き、チップが飛び交い、小銭をもうけるとロシアから出稼ぎに来ている美女を買うか、女性ならアーケートに並ぶプラダとかグッチの店へ飛び込んで買い物。
 
負けると近くに林立する「押(質屋)」へ宝石やらバックをもって飛び込み、続きをやる。
 
 
 ちびちび賭ける人たちは食堂で朝までトランプ、一夜があけると大半はすごすごとホテルからの無料バスで中国の国境・珠海へ向かう。「虚栄の市」などという比喩は生やさしく、カネのためには生命を賭けるちんぴら、殺し屋もうごめく。
 
 
 このように稀有のカネが唸る場所を中国共産党が手離す筈がないだろう。
 
 江沢民派、団派、太子党入り乱れての利権獲得戦争が花開いた。
 
かし広東はもともとギャング、青幇、紅幇、マフィアの「三合会」、「洪門会」の本場。「14k」や「新義安」などが集結する香港の古巣へ戻ったか、マフィアの本場=広東省の地下へ潜った。
 
 
 これらマフィアは清朝末期、漢族の栄光を回復せよとして出来た秘密結社が母体で、そのご国共合作、内戦の間にも党派闘争を繰り返し先鋭的になった。
 
 現在の広東マフィアは14K,新義安、和勝和などが有名である。殺人、麻薬、売春、恐喝、高利貸しなんでもありの世界。これらを総称して「トライアド」(三合会)という。
 
香港だけで57団体が確認されており、その凶暴性は日本のやくざを遙かに超えて、イタリアのマフィアもびっくり。そのうえ、日本に進出してきたから、札幌すすきのはチャイナタウン化し、新宿歌舞伎町は「華武器町」となった。後者はそのうえ、コロナの集団感染でまた悪名が高まった。
 
 
 
 ▲コロナ発生前まで年間2800万人の博徒が中国からやって来た

 一方、中国政府はマカオの「安全」「安定」を強くのぞんでおり、なぜなら民衆の不満のガス抜きのために絶対に博打場は必要な上、高官らにとってはマカオ出張でギャンブルに勝つと(たいがいは意図的に勝たされることになっているのだが)、なぜか「領収証」をもらえる。つまり合法の賄賂受け取りとなり、この利便性を失いたくないという思惑も働いている。
 
 マカオは香港と同じく「一国二制度」の特別行政区。マカオ憲法は全人代できめた間接選挙で、もちろん行政長官は北京寄りとなる。
 
これが経済繁栄の裏側の実態である。
 
 博打好きの中国人が大陸から陸続とカネをもってマカオへやってきた(コロナ発生前まで、じつに年間2800万人)。
 
ホテルも土産屋も飲食店もほくほく顔。タクシーもえらく高い料金ゆえに不平を漏らす客が多い。
 
 
 マカオのタイパ島にはラスベガスの御三家、MGMもウィンもサンズも並んでいる。
 
博徒は賭場を「はしご」する。
 
「あすこの店は(玉が)出る」と噂を訊いて違うパチンコ店に駆けつける心理と似ている。
 
マカオ全体が競合市場だ。
 
 
 ポルトガル植民地の遺風がのこる観光拠点も多いが、些末なことで幾つか驚きがあった。
 
日本語のガイドブックにも出ているレストランなど、食事に行くと若い女性がワンサカ、案内書片手に名物を食しているので、てっきり日本人と思ったら韓国人だった。
 
 香港でも同じ現象。つまり日本人がいなくなった分を韓国からの観光客が埋めている。
 
彼女らは日本語をそのままハングル訳したガイドブックを持参しているから日本人と同じ名物を買い、おなじレストランへ行くのである。
 
 店に入っても「コリアン?」と訊かれる。ただし韓国の女性は中国人女性と同じく、たばこを吸わない(少なくとも男性の前で)。日本の若い女たちより洗練されているように感じたのは錯覚かな?
 
 マカオの激変ぶりに感心しながら国門にいきつく。
 
ここで出国手続きをして、国境をあるいて渡り、広東省へ入国した。
 
機械化がすすみ出入國手続きがたった五分で終わる。
 
以前は一時間かかったから劇的なほどの変わり様だった。居住民はIDカードだけで、地下鉄の改札機のように、読み取り機に触れるとさっとゲートが開く。
 
 
 
 ▲時刻表は何処を探しても売っていない。だから駅でまごつくことが多い。

 広州へのゲート=珠海市内に入っても国境から新幹線の駅まではタクシーで四十分かかる。これも不便きわまりないが、いまはバスが海底トンネルを超えるルートができた。
 
 タクシーは1100円。タクシーの安い中国では異例の高額。なにしろ新幹線料金は36元は日本円で460円ですからね。
 
 そうしたアクセスの悪さを嘆いていては中国で新幹線には乗れない。事故も恐れては乗る気にもなれないだろう。
 
2011年8月31日にも四川省達州発成都行きの高速鉄道が遂寧駅の付近で突如停車し、煙を上げる事故があった。
 
現地のメディアによれば乗客がパニックに陥ったという。
 
そのまま列車は動かず、後続がとまって大混乱になった。
 
 
 この事故があった成都─達州間はCHR旧型車両が投入されており、最高時速250キロと謳われたのだが、温州事故以後、160キロで走行していた(筆者が成都から乗った区間である)。
 
 
 さて珠海北駅へ着いてホームに入ってきた新幹線車両に「えっ」と声を上げた。
 
 まさにCHR旧型。ボンバルディア製だからスピードはでない。緩慢な速度と聞いて、かえって安心感があった。
 
 珠海(北)ー広州(南)の新幹線は二等が44元だった。百キロ弱という短距離なのに外国人はパスポート提示。中国人は実名記入というテロ対策は変わらない。
 
同様な措置が各地で措られ、時刻表は頻度はげしく、しかも大幅に改編されるにもかかわらず何処を探しても時刻表を売っていない。
 
だから駅でまごつくことが多い。
 
 
 同ルートは100キロ弱の距離を50分ほどで走行し、途中に七つも八つも駅がある(筆者の乗った日の最高速度は195キロだった)。
 
各駅停車。あたかも華南の通勤列車のごとくで乗降客が凄い。
駅はすべて新駅、まわりは荒れ地だ。
 
 沿線は新開地、農地、養鰻場等もあるが、新しい団地に引っ越しの気配がない。
 
椰子の木は南国特有の風景だ。
 
水郷、こんもりとした緑をみると安堵する。湿地帯をぬけると山稜を削って赤土が剥き出しの地区がある。ぼつんと新築工場があった。
 
 
 広州南駅へ着いてから、ここでまた五つほどの衝撃があった。
 
 この駅からは武漢と珠海しか繋がっていないが、いずれ広州ー深センー香港と広州ーアモイが繋がる。
 
そのため四本の別のプラットフォームがさきに完成していた。
 
 第一の衝撃は、その前年夏に来たとき、まだ未完成だった地下鉄が広州南駅に乗り入れていた。
 
工事の迅速なること!
 
 第二に広州で筆者の定宿「花園ホテル」の地下にも地下鉄の新駅が出来ていたことである。
 
それを知らなかったから途中の駅でおりて歩いた。
 
事前に知っていたら地下鉄を乗り換えて広州南駅からホテルまで行けたのだ。
 
 
 ▲広州は人が多すぎる、物資が溢れすぎる

 第三の衝撃は広州市内ではタクシーがまったくつかまらないこと。
 
ホテルで一時間まってもタクシーは来ない。盛り場でも乗換駅でも同じ。かのバブル時代の銀座・赤坂に酷似している。
 
このため市内へでるにしても、毎日、地下鉄とバスを乗り継ぐ仕儀とあいなり、滞在中、ただの一度もタクシーに乗らなかった(というより乗れなかった)。
 
 第四にホテルのレストランが超満員、予約しないと食事も出来ない。この信じられない繁栄はいったい何だろう?
 
 そこで広州をそそくさと切り上げ、一部のアポは電話で用事を片付け、香港へ向かう予定に切り替えた。Uターンである。
 
 幸いにもホテルから広州東駅まで無料の送迎バスがある。
 
 
広州東ー香港間の鉄道は既存ルートだけでも二つあって第一は広州東から深せんまでの新幹線「和諧号」。
 
これは十分ごとに発車していて香港との国境まで行く。
 
便利この上ない。したがって常に超満員である。
 
 
 第五の衝撃。広州東駅は新改装増設されていたが、一階が長距離列車と新幹線が棲み分け、二階が国際列車だ。
 
これが香港への直通便。駅に着いて40分も余裕があれば次の列車に乗れると考えたのが甘かった。次の列車は満員のため三時間待ちで「次の次」と言われる。
 
咄嗟に一階へ下りて新幹線の列に並ぼうとして軽いめまい。切符売り場までに500メートルの長い列があるではないか!
 
 しかも三重四重の列だ。
 
 
 しかたなく二階の切符売り場へ戻り、香港への直通特急列車を待つことにした。
 
空腹でもないのに早めの昼飯を取った。
 
広州東駅から香港への線路に沿って新・新幹線ルートを併設するのも、こうした満員状況の緩和を計ろうというわけだ。
 
 
 2020年現在、広州東ー香港ホンハム駅の131キロは一時間で結ばれている。
 
最高時速350キロを出す。
 
香港に関しては、すでに『チャイナチ』(徳間書店)に詳細を書いたので、ご興味の向きは拙著を参照していただきたい。次稿は海南島へ話が飛ぶ。