ぼちぼち、「仇討ちて」について振り返っていきたいと思います。

 

今回は、衣装について。

 

衣装の中島ちゃんには、今回もイマダのこだわりに振り回されてもらいました。

ごめんね。

また、他の出演者もたくさんチクチクしてもらいました。

ありがとう。

 

こだわりの衣装について紹介していきます。

ほんとにマニアックなこだわりを長々と紹介していきます。

お暇な方は、どうぞお付き合いください。

 

【松尾正之助】

この人だけ、ぜんぶ新品です(笑)

赤い着物に茶色の袴って、「おろ?」とか言い出しそうな配色ですね。

衣装が届いて、着てもらってから気づきました。

私の中の浪人のイメージが、たぶん、この配色なんですよ。

袴の着付けについては、稽古の度に自分で着ていただき(袴のさばき方に慣れるためにも)慣れてもらいました。

男性の袴の着付けがバシッと決まってると、カッコイイですよね。

そして、注目は草鞋。

これは、地下足袋に紐を縫い付けて、「黒い足袋+草鞋」に見えるように加工したものです。

男性は、みんなこの地下足袋を履いてもらいました。

地下足袋なので、動きやすさ抜群で、殺陣も楽勝です。

 

【小里小太郎】

「そこそこ立派な武家の嫡男、元服前、旅の途中」という設定。

着物は、男物だと黒とか紺とかしかないので、女物を着用しています。

気づいてくれた人はいないと思いますが、女物の着物の袂(脇のあたり)は男物と違って開いていますので、それをを縫い合わせて、ちゃんと男物に見えるように加工してあります。

袴は、稽古のために着用していたら、見事に破壊してくれました。

内側の布が裂けました。

 

 布 が 裂 け ま し た 。

 

縫い合わせるついでに、黒い布を帯状に縫い付けて補強。

これは、所謂「道中袴」というやつです。

https://www.pref.aichi.jp/dourokensetsu/tokaido/untiku/5230.html

さらに、小太郎には、常に「股立ち」を取ってもらいました。

(袴の裾を持ち上げて、動きやすくする着方です)

http://akaby208.web.fc2.com/

(袴の側面を持ち上げることが多いですが、今回はテレビ時代劇でもよく見る前側を持ち上げる着方にしました)

さらに、マント(道中合羽といいます)を着用して、笠を被って、荷物を2つつないだものを肩にかければ、完璧な旅姿の完成です!

 

【お絹】

「足軽の娘、旅の途中、実は武道の達人、得物は懐刀」という設定。

テレビ時代劇や、google画像検索で出てくる浮世絵なんかで研究して、「これぞ江戸時代の女性の旅姿!」を再現。

着物は、中島ちゃんがリサイクル着物店を何件も梯子して見つけてきてくれました。

色合わせも江戸時代っぽくて、かなり満足。

彼女も、地下足袋に鼻緒を縫い付けたものを履いていますね。

ちなみに、杖と懐刀は養老の珍品城で購入しました。

↓後ろ姿

帯は、作り帯を作りました。激しく動くのでね。

半巾の文庫結びなら浴衣用の作り帯が売ってますが、この時代の武士階級の女性は幅広の帯の文庫結びが一般的に知られています。

リボン部分の幅が違うんですよね。

(現代では文庫結びは「若いお嬢さん」の結び方ですが、テレビ時代劇だと、けっこう歳いってる女性も武家の女性なら文庫結びがほとんどです)

なので、作りましたとも!

この形に固定するのも、けっこう苦労しました。

普通に結びつけただけではリボン部分が寝てしまって不格好になるのですよ。

さて、写真は川上との1回目の決闘(通称「長良川の決戦」)です。

ハチマキとタスキがけを追加。

短い裾を、さらに尻端折りして動きやすさを最大限まで引き上げています。

とはいえ、動きにくいことに変わりありませんから、この格好であの殺陣をやりきった梶浦さんは、マジすげぇのですわ。

 

【用心棒3人衆】

ま、普通の着物+袴ですね。

川上の衣装は、ほんとに普通でよかったのですぐに決まりました。

倉石は、なかなかいい色がなくて探してもらいました。

ほんと、男物って黒か紺か青しかないのよ。

袴は、Amazonで購入。ポリエステルで\5,000くらいであるんですよ。カラーバリエーションもけっこうあるし。

ちなみに、役者の足の長さに合わせて裾上げをしてありますが、ミシンを入れると長さの修正が難しくなるので、みんなで「手縫いで」裾上げしました。裾上げ後は、プリーツ(って言っていいのか?)をアイロンできれいにプレス。

たぶん、衣装はこのこ作業が一番大変でした。

井原は、垣んちょワードローブに何故かあった派手な柄の着物。これ、もともと男物。

これに、古田くんが自腹で購入したこだわりの刀(緑色!)と瓢箪を合わせて「頭イっっちゃってる系浪人」を演出。

髪型もはまってましたね。

この写真見ると、みんな、着物の着付け、上手になったなあと思うのです。

ちなみに、「男性が脇差を差していないじゃないか!」と思う方もいるかと思います(いるのか?)

ぶっちゃけ、脇差を全員分準備する予算がありません!

また、脇差を差したままで殺陣って、マジ無理っす。

受け身がとれなくなるし、ぶつけて壊しそうだし、そもそもジャマだし……。

 

【お孝】

「妊娠8ヶ月の妊婦、貧乏浪人の妻、五平餅店勤務」という設定。

まず、垣んちょワードローブの中から、貧乏くさい着物をチョイス(笑)

江戸時代の労働者階級らしく襟に黒い布(掛け襟)をあててもらいました。

(着物は汚れても簡単に洗濯できなかったので、汚れが目立ちにくい黒い布をあて、汚れたらこの襟だけを外して洗うのです)

帯は、これも貧乏くさい帯をサンタの倉庫でゲット。

結び方は、

http://yui1mu2.com/wp/obi-nagoya-hanhaba-no-item

の結び方を採用。

テレビ時代劇でも、この頃の町人は「帯揚げ」や「帯締め」「帯枕」を使わずに、なんか角だしっぽい結び方なんですよね。

どうやって結ぶんだろう、と検索していて辿り着いたのが、この結び方でした。

さらに、彼女は妊婦ですから、お腹の詰め物を作ってもらいました。

中身は新聞紙だそうです(笑)

で、そのまま着せたところ、裾がピラピラ広がってくる!?

お腹が前に出てくるので当たり前か。

で、兵児帯を上から結んでみた次第です。

実は、妊婦の着付けについては資料が見つからなくて、これが正解なのかは分かりません!

江戸時代の町人の話ですから、今の「礼装としての着物」みたいに着付けのルールなんて、あってないようなものだったと思うので、これで良いということにしましょう。

 

【女中】

江戸時代らしい色使いの着物ですね。

半襟(内側の襟)はオレンジで可愛くして、さらに江戸時代感を演出。

ちなみに、岡崎さんが垣んちょの舞台企画第1弾「一二三」(2012年)で着ていたのと同じ着物です(笑)

↓忍者

この女中、実は尾張藩の密偵で、倉石と共に山田屋に潜入していたのです。

クライマックスシーンでは、忍者として登場。

衣装を替えお疲れ様です。

髪型も替えてもらいました。

ちなみに、この忍者衣装は劇団彗「恋して侍」(2014)でタイムスリップしてきた忍者役のイマダが着ていた衣装ですね。

使いまわしでごめんね。

刀は、ちゃんと忍者刀(直刀)なんですよ。

 

【町人たち】

男性は着物を尻端折りして、股引(っぽく見える、スキニーパンツ)を着用。

帯結びは、貝ノ口でさらに町人っぽく。

女性は、みんな襟に黒の掛け襟。

写真だと分かりづらいのですが、半襟(内側の襟)には、ピンクや赤を縫い付けてもらい、さらに江戸時代感を演出。

垣んちょワードローブをひっくり返して、さらにサンタの倉庫を梯子し、「江戸時代っぽい着物」を探しまくりました。

 

【集合すると】

全体的に、色味のバランスも良くて、大満足。

中島ちゃんをはじめ、衣装メンバーは本当に大変だったと思います。

(イマダのどうでもいいこだわりも含めて注文が多くて)

お疲れさまでした!

 

【余談】

女性の着付けは、ぜんぶイマダが頑張りました。

二日間で、延べ15人分です。

着付けは独学ですが、年々、腕を上げています。

町人の着付けなら、最短10分です。

こうして写真を振り返ると、衣紋の抜き方(うなじのあたりの形)が完璧ですね。

 

誰か、褒めて!!!!

TEAM垣んちょが、3年振りの舞台企画の実現に向けて動き始めました。

これは、私にとっても大きな挑戦になります。

 

私が演劇活動を続けるうえで、大きなテーマの一つとして「ライフステージがどう移り変わっても、演劇を続ける」というものを掲げています。

学生、社会人、結婚、転職、管理職、妊娠、出産、子育て…

ライフステージが移り変わることで、演劇活動を続けることが難しい環境に置かれることもあります。

そんな中で、いかに「演劇を続けるか」が、私の人生にとっても大きなテーマだと感じてきました。

 

また、これは私だけの課題ではなく、仲間たちも同時に感じている課題だと思います。

垣んちょを立ち上げたときも、『劇団』としての形にこだわらない団体をつくることで「『劇団』では活動が続けられないけど演劇を続けたい人」をすくいあげたい、という思いがありました。

垣んちょの活動を通して、このテーマについて考え、答えを示し続けてきたように思います。

先日の企画会議の折、忙しい中、垣んちょ立ち上げ当初からのメンバーも多数参加してくれました。

その様子を見て、垣んちょを立ち上げてからの約10年、私たちが続けてきたことには大きな価値があると思いました。

 

私自身が結婚して、出産・子育てが現実的になってきた頃、「子供がいても演劇を続けるにはどうすればいいか?」を真剣に考えるようになりました。

夫婦でも話し合いました。

結論は、「子供がいたって、演劇は続けられる!」でした。

その時に備えて、少しずつ環境を整えてきました。

 

やり方次第で、どんな環境にいたって演劇は続けられる!

演劇に対する情熱さえあれば!

 

これからの1年で、それを証明したいと思います。

 

2019年は、実は垣んちょ10周年の記念すべき年です。

その年に、舞台公演を企画し、それに賛同してくれる仲間がたくさんいることに心から感謝します。

 

これからの1年、その先も、どうぞよろしくお願いします!

 

 

久々のブログ更新です。

まもなく、人生で最も忙しい&余裕のない日々がやってきますので、その前に近況を綴りたいと思います。

 

昨年、12月21日、私の母が亡くなりました。

 

1年ほど前に末期がんの診断を受け、1年にも満たない闘病生活の末、天国に旅立っていきました。

 

悲しいです。

寂しいです。

 

今は、それ以外の言葉が見つかりません。

 

でも、

いつも笑っていたお母さん

いつも楽しませてくれたお母さん

 

私に、生き方を示してくれたお母さん

 

忘れずにいたいです。

 

 

約1年前、私は一本の脚本を書きました。

母の病気が分かって、すぐのことです。

もりとみ舞さんから「喜怒哀楽の『楽』をテーマに、一人芝居の脚本を書いてほしい」と依頼を受けたものです。

「雲の向こうは、いつも青空」とタイトルをつけました。

ルイーザ・メイ・オルコットさんという米国の女性作家の言葉です。

あとがきには、

「私の、楽しかった思い出、そして、これから先の未来への希望を信じる気持ちを、今、言葉に残したいと思いました」

なんてことが書いてありました。

 

今も同じ気持ちです。

 

この脚本は、もりとみ舞さんが路上芝居として、大切に演じ続けてくださっています。

観てくれる方の心に、何か残るものがあれば……。

 

脚本を、ここに公開しておきます。

拙い脚本ではありますが、興味があれば、どうぞ、ご覧ください。

 

「雲の向こうは、いつも青空」今田亜季

 

(本当は、ぜひ、もりとみさんの路上芝居を見に行っていただきたい……!次回は2月14日です)

 

 

しばらく、舞台に立つことはできませんが、脚本書いたり演出したり、できたらいいな、なんて思っています。

過去に書いた脚本を、ちょっとずつ公開できたらいいな、とも思っています。

ツイッターも、しょうもないことばかりですが、相変わらず呟きます。

 

それでは。

 

《音響編》


振り返るも何も、えーじくんに丸投げだったじゃない!


すまんかった。


えーじくんは、本当にすごい。

センスはもちろん、プランの提案力が。


「演出の意図が読まれている、だと?」


という心境でした。


本当に、物語の意図に沿った素晴らしい選曲と、

絶妙なフェーダーさばきでした。


特に、ラストからカーテンコールの流れは最高!


ありがとうございました。



こんな素晴らしい音響スタッフを育てた劇団アルデンテは、やっぱり偉大だと、改めて思いました。



ちなみに、

休憩時間に、えーじくんがガンダムUCのBGM流すもんだから、

変な気分になっちゃったのは、たぶん私だけ。


《照明編》


振り返るも何も、全部、堀井さんにお任せでした!

演出からの抽象的な注文の数々……


「城のシルエットがほしい」

「満月よろ」

「なんか、色ムラがある舞台にしたい」

「立体感よろ」

「ここ、最高にカッコよくしてね」

「派手にあ頼むよ!派手に!」



すまんかった。


いや、本当に私の注文通りの照明で、仕込みからテンション上がりまくりでした。


また、みつが信長を裏切って、左衛門に向き直るシーンの感情の変化を、

見事に照明で表現してくれました!

(イマダの注文に非ず、堀井さんからの提案!)


本当に、素晴らしい照明でした。

堀井さん、本当にありがとう。

愛してるぜ!