和んでソマティック革命シリーズ(第1話)
あれは、あけみんの個人セッションの初回だったと思う。
ひたすら身体の声に耳を傾け、今どんな感じか、自分の中で何が起こっているか、思い浮かんでいることにひたすらスポットをあてていったら、胸が苦しいようなザワザワした感じが意識に上がってきた。
それまで私が経験してきたゲシュタルト療法のワークだと、その意識に焦点をあてていくと思うんだけど、あけみんのセッションでは、そっちに行く前に、「どんなサポートがあったら、そのザワザワした感じの方へ行けそう?」というような問いかけがあったと記憶している。
そして気がついた。
「私って、幼少期のころから、誰かにサポートを求めたことや、サポートしてもらったって記憶がない」ってことに!
そこで浮かんできたのが、私が小さい頃、誤って飲み物をこぼしてしまったときに、父に「何やってんだ!」と怒鳴られた場面だった。
その時、怒鳴る代わりにあけみんに「大丈夫だよ」と言ってもらいながら飲み物をふいてもらうサポートをお願いした。
驚いたことに、その場で飲み物をこぼした時の再現をしただけで、わたしの体が硬直して固まってしまった。
あけみんに、すぐに「だいじょうぶ?」とそばにきてもらって、「だれでもこぼしちゃうことはあるよ。大丈夫。ほら吹いたらきれいになったね。気持ちいいね」とやさしく語りかけてもらったら、涙があふれてきた。
わたしが泣きながら「こわかった」と言ったら「こわかったね」と寄り添ってくれた。
そして「わたし、こういうサポートがほしかったんだ」ってことに気づいたら、だんだん体の力が抜けていって、ゴロンと横になりたくなった。体の声にしたがって、ゴロンと横になって目を閉じて、呼吸に意識をむけてみた。
あけみんは、何も言わず、なんとかしようとせず、ただそこに共にいてくれた。
それだけで気持ちが落ち着いていった。
どれくらい時間が経っただろうか、気が済むまでそうしていたら気がついた。
「今、わたし安心している。これが安心ってことか」と。
わたし今まで、「安心する」ということがどういうことかわからないまま、よく生きてきたなと思ったら、可笑しくなって、クスッと笑ってしまった。
そのくせ、「安心で安全な場づくり」なんてことをやっていて、「ここはどんな自分でもOKな安心安全な場ですよ。安心してください」なんて言ったって、「おまえが安心してないだろ!」って話だよね。
そんなことを言って、あけみんと笑った。
なんか、久しぶりに笑った気がした。
こうして、人と共にいて、安心するという体験をしたことで、私は人といるとき常に「緊張していたこと」「警戒していたこと」「体に力が入っていたこと」に気がついた。
「だから私は人といるだけで、何もしていなくても疲れるんだ」ってことに気づいたら、不思議と力が抜けて楽になった。
「あ、これが『変容の逆説的理論』なのね」ということを体験的に理解した。
安心しなくちゃ。力を抜かなくちゃ。と、自分を変えようとするとまた力が入っちゃうけど、「いいの。いいの。力が入って、疲れちゃったっていいの。心配しなくていいの。そういうもんなの」とありのままを受け入れてあげると、体は安心して、変容が起こるという理論。今までは頭でわかってたけど、こういうことなんだな~と納得。腑に落ちるってこういうことなのね。
泣いて、笑って、あるがまんま。そのまんま。心も体も和んだいい時間と空間だった。