前回記事からの続きです。

 

妻の家族が引っ越してきました。家族のエホバの証人的な構成はだいたい一緒です。

母親1世で妻が娘として2世、妹や弟もいたが水没してなく集会にも基本こない状態。

母親はほぼ世間を知らずに入信しエホバの証人は皆優しく自分を受け入れてくれるところに惹かれてていたので、組織が言うことはなんでも正しいという意見の持ち主でした。

 

当時妻は高校卒業後にバイト含めて社会人でしたが、別にエホバの証人の活動には全く関心はなく、前の会衆の連中とよく遊びに行ってたりしていたそう。

そんな中、私と知り合いこっそりと付き合うことになりました。

 

エホバの証人は、結婚前は2人きりのデートですら禁止という規則です。

そもそも若いうちに結婚するくらいなら、もっと奉仕やエホバの証人活動に専念しろ!となっています。

 

で、2人でデートしてるとこを同じ会衆の人に見られて長老に尋問にあうわけです。

とはいえ自分ももうエホバの証人として全く気持ちがなく、妻もそのような感じで、親のためだけにやっているような感じでした。

まぁこの状態で反発して両方の親からお互い懲らしめられるのはよくないと思い、話し合って一旦別れる形にしました。

 

 

大学生だったときは、ベテル奉仕者がよく家に来て交わりをするという名目で部屋をチェックしてきたり、奉仕やその他の活動への誘いなどをしてきたり、組織が命令している禁止事項をやっていないかのチェックをよくしてきました。

また大学生活が良くないことを彼らの書籍から延々と説明するのです。

こいつら俺が自主退学するように仕向けてるな!というのがよくわかりました。

 

高校までとは違い、大学だと日本全国から色んな価値観の人がいますので、知らない話や体験を沢山できました。

エホバの証人組織はこうなる前に洗脳したいがために高等教育が悪としているんでしょうね。


とはいえハルマゲドンが来るという刷り込みなどはどうしても残っているので、いつかは終わりがくるみたいな概念はこびりついた上で、隠れて組織的にはNGなことをしたり、こっそり祈って謝ったりといった状態が続きました。

 

 

当時兄はエホバの証人的には模範的と呼ばれる兄弟で、学校卒業後はエホバの証人が経営する会社に就職し、基本はエホバの証人の活動をメインとした生活をしていましたが、私はこんなの絶対嫌だと決めていたので、なんとしても普通の会社に就職しようとしていました。

 

きっかけや時期は不明ですが、中学か高校のどこかでパソコンに興味がありました。

当時はまだ5インチや3.5インチフロッピーディスクが全盛期で、さらに少し経つとモデムでインターネット接続して掲示板を見てた記憶があります。まだADSLもなく従量課金だったのでテレホーダイ時間帯に皆がアクセスしてる時代です。

なぜかBASICやFORTRANというプログラム言語で計算したり放物線を表示したりして遊んでた記憶があります。

 

そんな興味は大学生になってもずっと持ち続けてたので、就職はパソコン関係の仕事にしよう、ということで、大学でのプログラムの授業など関係するものは追加で履修したりしました。

 

自宅から大学まではそれなりに距離はありましたので、授業終わるのが遅いと集会スタートに遅れるのはよくありました。

その度に周りからは「高等教育のせいで霊性が低いダメな子供」という冷ややかな目で見てくる人は結構いました。

そして奉仕時間を毎月提出しなければいけないのですが、時間が少ないと電話がかかってきて「本当にこの時間であってる?」とプレッシャーを何度もしてきたのはよく覚えています。

 

妻とは一旦表面的には別れはしたものの、なんとか連絡はずっと取りつつ私が就職し家を出たら一緒になろうということにしており、いよいよ大学の研究室を決めるのと同時に就職活動スタートでした。

 

私はどこでもいいのでプログラムなどができて、親元から離れられる、だけど妻のいるところには近い、集会には出れない、という意味不明な条件(笑)を満たせる会社を探し面談等を受けました。

 

社会をよくわからない状態ではありましたが、数社目で納得いく会社が見つかりそこから内定をもらうことができ、そうなるとあとは研究室の活動と卒業単位をしっかり取ることに専念することで、あとは時間だけの問題になりました。

 

この間、親や長老、ベテル奉仕者、まわりからは卒業後の活動について本当にしつこく聞かれたり、組織の出版物で教育してくる「世の中の怖さ」を説いてきて、最終的には滅びの道にいかないように、と色んな手で教育してこようとしました。

 

しかし私としてはこの時点でもうエホバの証人を人生の主軸として生きることはしないことに決めていたので、なんとか親を困らせない程度にかわしていく毎日でした。

 

まだこの段階では、エホバの証人が社会的に逸脱した宗教団体であることや虐待や強要、組織の中の人が真実を知らされていないことなどについては何も知りませんでしたし、追求することなどには興味もありませんでしたので「悪いことをやっている団体」という認識すらありませんでした。

 

それを知るのは社会人になって排斥になるときでした。