前回記事からの続きです。

 

大学生になってから自然消滅を目指そうと思いましたが、そうは甘くありませんでした。

 

大学生という立場上、高等教育を推奨していない組織の方針を盲信している会衆の成員からは冷たい目で見られます。

しかし自分としてはその方が好都合なのでしたが、母親や、当時の会衆で割り当てられ交わっていたベテル奉仕者数人が必死に私を「サタンの世」から守ろうとしました。

そして、年齢的なことも含めてそろそろバプテスマへ目指せ!ということになりました。

 

子供として当然に親を喜ばせたいという気持ちがありましたし、この重圧も水没すれば終わるだろうと安易な考えをもってしまい、バプテスマの討議という、いわば自己責任でエホバ神に仕える(組織に仕えるなんですけどね実際は)知識と覚悟を表す場、までには、大学帰ったら集会、奉仕、個人研究、ベテル奉仕者との研究をしっかり組まれ逃げれなくなりました。

 

大学の授業は世の哲学や悪い風習が多い、サークルは男女が性の乱用や薬物の使用が当然の場となっているから絶対にNGの強要がありました。

ホント失礼な話ですよね。

 

授業も中途半端で単位取得スレスレ、大学生としの人格形成の場であったりネットワークを広げるということがほぼできませんでした。

 

 

そしてバプテスマを受けてしまうのです。。。

 

今もそうかわかりませんが、心にやましいことがあったりすると水に沈まない、エホバは心の中まで見ておられる、過去にやった悪事(JWの教理の悪事ですね)はちゃんと報告し祈りのうちに謝ること、これからは心と想いとすべてのことにおいてエホバに身を捧げること、そのためには学生生活もほとほどにし、その後の世俗の仕事も調整し、霊的な活動に専念すること、など、完全にあたおかなことを約束させられ、結果として、海老名ベテルで年数回開催される巡回大会で水没してしまいました。

 

 

そのときは兄は完全に「模範的な開拓者」として一目置かれ、いわゆる「必要のおおきなところ」へ任命され、組織が勝手にペアリングした男と極貧パートナー生活を送りながら地方で奉仕活動に専念するくらいでした。

 

ですので、母親は弟の私にもその期待をかけて必死にベテル奉仕者、開拓者などの目標を持つようにしてきました。

 

 

幼少からそうだったのですが、そもそも組織が教えている教理や信仰なんてものは自分の中にはありませんでした。

よく組織は「親の信仰から自分の信仰としなさい」と命令してましたが、何度か真剣に勉強し始めても全くといっていいほど頭に入らないし心も動かされませんでした。頭悪かったんでしょうね笑

 

ここまでやってきたのはすべて親に褒められたい、家族が良好な関係でいられるならそれでいい、ということへの執着だけだったと思います。そこには自分の将来のことなんかは全く考えてなかったと思います。

 

父親は反対者まではいかないが、組織の活動や良いとは思ってないし、その話は家ではタブーだったので、まともに親子の会話はできず、常に様子を伺うしかありませんでした。

ただ父親はことあるごとに「どこに就職するかとかは別として、何か得意なものは作っておけよ」と事あるごとに言ってました。

 

補助開拓奉仕も何度かしましたが、そもそも奉仕活動が大っ嫌いでしたし、時間というノルマが大学生活に大きく影響して未達が多かったので、結果として長続きはしませんでした。そのときは何度も母親やベテル奉仕者から怒られたなぁ

 

 

そんな中、いまの妻と出会うのでした。

 

長くなったので次へ続きます。