エホバの証人(他の組織もそういうところありますが)は、都合が悪いものに対しては巧妙かつ狡猾な詭弁を使います。

 

いま話題になっている忌避問題に対してもそうです。

 

この問題に対してエホバの証人は一般向けの回答として「エホバの証人ではなくなった人を避けますか」という記事を公開し紹介していますが、ここの文章がまた詭弁でしかありません。

ここでいう「バプテスマを受けてエホバの証人になったものの伝道をやめ、仲間との交友から遠のいている人たち」というのは、彼らの取り決めである排斥や断絶をした人ではなく単なる不活発な人のことです。

 

そのあとに、『聖書は「その邪悪な人をあなた方の中から除きなさい」とはっきり述べています。』と書いていますが、これは排斥をすることがある、と言っていて、排斥をした人への対応ではありません

 

さらっと読んだだけですと、エホバの証人は、辞めた人を避けることはしない、というふうに読み取れてしまいますよね。

「しません」を太字強調してそちらにフォーカスするようにしているのです。

 

さらに狡猾なのが、そのあとに排斥された人との「家族の愛情やかかわりは続きます。」と書いて問題なさそうな表現にしています。

 

しかし実態はどうでしょうか?

 

排斥された人に対しては、愛情があるからこそあえて忌避することで組織に戻って来させようとする、というかかわり方を成立させるということで彼らの詭弁が成立しているのです。

 

これは一般の方が読んだだけでは理解が難しい表現だと思います。

 

こういった巧妙狡猾な表現をして正当化しようとしている箇所は膨大にあります。

 

それよりも、彼ら自身が信者向けに発行している冊子のこの記事が真実なんじゃないでしょうか?

理由はどうあれハッキリと「徹底的に避けることは本当に必要か。そのとおりです。」と書かれています。

 

この"徹底的に避ける"とはどの程度のものなのかは、ブルー3さんが過去にエホバの証人自ら発行していた資料をもとに綺麗にまとめてくださっていますのでご覧ください。

(すみません、勝手に引用してしまいましたので都合わるければご連絡ください)

 

乱暴にまとめますと、排斥断絶された人間とは家族であっても挨拶するな家にいれるな電話もとるな!というものです。

 

 

このように忌避ひとつとっても外向けと内部では言っていることが違いながら正当化できる表現で誤魔化そうとしているのです。

 

 

ぜひ弁護団や厚労省の方には、こういった彼らの誤魔化し、論点のすり替えに騙されずに冷静に虐待や欺瞞などを明らかにした上での規制検討をしてもらいたいです。

そうすることで忌避されている方への救済もそうですが、いままさに洗脳され虐待に遭っている人たちへの気づきのキッカケになってくれればと思ってます。