前回記事からの続きです。

 

帰国してからは母親は、海外でのエホバの証人との関わりから「これこそ真の宗教」(何をどう比較してそう結論したかは不明ですが)「彼らの道徳基準は高い」「人生の答えを知っている」という、自分が満たされないことへの回答を見つけてしまったのでしょう。

しかも日本の会衆の人からは「統治体メンバーと交流ある霊性高い方」というもてはやされもあり、あっという間に水没(献身の象徴としてのバプテスマってヤツですね)しました。

 

その前後から、母親は子供へのエホバの証人としての徹底した教育が始まりました。

他の2世3世〜の方も経験し、この度の虐待について勇気ある証言をしてくださった方と同じことが展開されたのです。

 

・世の友達(学校の同級生などの友達)はサタンの影響を受けているので一緒に遊んではダメ

・遊ぶのはエホバの証人の仲間とだけ(何して遊ぶのか/遊んだのかも報告する)

・週3回の集会(当時は水曜日夜2時間、金曜日1時間、日曜日2時間の3回)は出席必須・奉仕活動に一緒に行き家の人に証言をし雑誌を買ってもらう(当時はまだ有料でした)

・聖書を少しづつ毎日読む

・テレビを見るのは禁止

・もちろんテレビゲームなんて論外

・ちょっとでも暴力的、性的な表現がある本、漫画、音楽、ラジオ、等々もすべて禁止(部屋の中チェックされる)

・学校では自分がエホバの証人で、色んな行事に参加できないことを先生含めてクラスへ証言する

と列挙してたらキリがないことが課せられたのです。

 

そしてこれらのことが守られないと革ベルトによる鞭が待っていました。

 

過去の記事でも書きましたが、悪事の告白、鞭、謝罪の祈りをさせられることで、自分の思いや欲望はどんどん表現できなくなり、いつしか自分の考えが麻痺してきました。

さらに鞭打たれるのを極力避けるために平気で嘘をつくようにもなりました(それがバレたときの鞭の回数は50回とかもありました)。

 

余談ですが、まだ小学生でしたので衣類の買い物は親と一緒に行くのですが、ベルトを買う時は極力柔らかい痛みの少なそうなものを選ぼうとすると、母親が勝手に固く痛そうなものへ変更するのでした。

 

学校でも、2世が何人もいたので相互監視的な作用が働き、ことあるごとに鞭を打たれた記憶があります。

またそんな奇異な子供だったので、話す相手もいないし遊びに誘ってももらえません。

 

こんな小学生生活でしたので、まともに友達もできることなく奉仕に連れ回されクラスからは異色の目で見られる、好きなことできない・わからなくなるので、起きているときは常に「鞭打たれないようにするにはどうすればいいのか」が頭によぎる毎日になります。

 

ですが、エホバの証人としての活動(集会へ行く、注解する、奉仕へ行く、聖書を読むなど)をすると唯一親やエホバの証人の人から褒められるようになっているので、信条などどうでもよく、母親から褒められたいがためにその活動をする以外選択肢はありませんでした。

 

もちろん「輸血拒否カード」も持たされました。

別の記事でも書きましたが、輸血を拒否することの意味なんて当然わからなく、ただ聖書に書いてあって神からの命令だから、ということだったので、上にも書いた通り鞭打たれるのは嫌だし親から褒められたい一心で常に首からぶら下げるようになりました。

 

こんな生活が小学生の遊び盛りの数年間続いたわけです。

 

思い返すと、小学生時代に家で何してたかの記憶が全くないので多分あの頃の記憶は抹殺されているんだと思います。

まともな人格が形成されるわけがないですよね。

 

次回は中学時代のJW2世体験を書きます。