これから数回に分けて私がエホバの証人2世として体験したきたことを書いていこうと思います。

 

日本の高度経済成長期(1970年代)で一般的にも父親仕事で帰りが遅く、母親は育児に奔走される時代、しかも田舎から出てきて周りに頼れる人がいないのもあり、母親はエホバの証人からの訪問を受けスタートしました。

 

しかしその後すぐに父親の都合で海外へ家族で転勤することになりましたが、そこは宗教ネットワークです。

組織は転勤先の近所の会衆へ連絡を入れていたらしく、結局海外で研究がスタートしたのです。

 

私が物心ついたのも海外での生活からであり、父親の仕事仲間の家族ぐるみでクリスマス会や誕生日会、新年会などをやっていた記憶がありますので、まだそのときは母親は研究生だったと思われます。

 

普通に集会にも参加し、帰りにはよくピザを食べに行ったりとのびのびとしてたような。

鞭などの虐待の記憶はありません。

 

余談ですが、エホバの証人の実態を調査している際に、当然統治体メンバーなどのことも目に入ってくるのですが、実は統治体の成員数名とは、海外在住の際に何度も集会や食事会で会っていることがわかりました。

今は亡き、フレドリック・フランズ、ロイド・バリー、ダニエル・シドリックなどです。

当時は「なんだ?この白人じいちゃんたちは?」程度にしか感じていませんでした笑

そして主の記念式の際は、彼らが壇上で話しながらパン摘んだりワイン飲んでたのをいまでも覚えています。

余談おわり

 

 

今思えば帰国後からの長年が私を苦しめることになったのだと思います。

 

 

母親はそのままバプテスマを受け(彼らの中でこれがハルマゲドンを生き残って通過するための最低限の条件で、いわゆる洗礼)、晴れて会衆の中の正式な成員となりました。

その過程で当然、彼らが禁止とするものが一切できなくなりました。

 

私は当時小学生高学年での帰国だったので、生活習慣の違いや学校では海外転校生ということで若干奇異な目でみられたりとあってなかなか馴染むことができませんでした。

 

母親は会衆では上記の余談のような統治体の成員が交わっていた会衆で育った霊性の高い姉妹(エホバの証人ではバプテスマを受けた人を兄弟、姉妹と呼びます)というよくわからない持ち上げをされていたので悪い気はしなかったでしょうね。

 

このエホバの証人という宗教は、人類誰もが疑問に思って永遠に解決しない、回答がでない課題に対してもっともらしい答えをすべて用意しているのです。しかもだいたいそれが精神的身体的に弱っている、もしくは知識がない人に対しては心地よく慰めになるように聞こえるのです。

なんで私だけ苦しむの?なんで愛する人は死ぬの?なんで被害者になるの?なんで世の中はこんな悪いの?などです。

 

母親は、子育てや父親の仕事熱心(本当に熱心でした)による不満・将来への不安、疲労などにはすべて原因があって、近い将来それが正されて、しかも永遠に幸せになれるんだ、というものに縋ってしまったのでしょう。

 

 

この前後からエホバの証人流の教育が私に炸裂し続けることになるのです。

 

※ちなみに父親は仕事熱心だったので、よくわからないけど悪いそうではないコミュニティで妻が満たされるのであればいいくらいな感覚だっと思います。

 

 

かなり長くなってしまったので一旦ここで切ります。