部下に「はめられた形」でいわゆる左遷が
決まってしまった文也。
その「憂さ」を晴らしに、
上京当時よく訪れていた品川区の
「大井競馬場」に足を運んでみたが…
馬券も当たらず、逆にうんざりするばかり。
そんな文也の真横で、
いわゆる「チャラチャラ」したカップルが
馬券を当てて大はしゃぎしているから
余計にイライラ。
何とか逆転!を目指してメインレースに
挑む文也だが…
◇
「大井競馬第11レース
シナガワンダー特別」
レース名を確認して「またアニメキャラか!?」と一瞬思ったが、少し違うらしい。
どうやら東京23区のキャラクターというのがいるらしく、品川は「シナガワンダー」というイエローカラーの犬型ヒーローがそれらしい。レース名は、そのキャラクターをPRしたモノということだが、文也にとってはもちろんそんなことはどうでもいい。馬はレース名で走りを変えることはないからだ。今度こそ、ちゃんとした予想で当てたい!出しぬかれるのを食い止めたい!と、強く思っている間に、彼としては衝撃的なことをひらめいた!
「出しぬかれるのを食い止めたいと
思うんじゃなく、出し抜くことを
考えればいいんだ!」
これは仕事じゃない。競馬だ。出し抜く馬を見つけて、周りを出し抜いても何も悪いことはない!目が覚めた(気がした)文也は、手元の予想新聞が「今日1番の鉄板」と推している馬ではなく、他の馬を狙うことにした。文也の目に止まったのは・・・6番人気の馬。「トウキョウキップ」。色々調べた結果確信した。この馬が最後の最後、ゴール前で本命鉄板馬を抜き去るはずだ!出しぬくならこの馬だ!
馬券を買い、レースのスタートを待つ。買った馬券、どれが的中しても、10万円は儲かる計算だ!
―俺は出しぬく!
強い決意を胸にゴール前へと足を運ぶ。メインレースが近づくにつれ、徐々に混雑し始めた競馬場内今、ファンファーレが鳴り響き、そして実況アナウンスが始まる。
「大井競馬。2日目。
第11レース シナガワンダー特別。
1400m外回り。13頭で争われます。
品川を守る黄色の犬型ヒーロー、
シナガワンダーの誕生を記念して
行われますこの競争。各馬ゲート入りは
順調…ちょっと5枠のイエロースターが
ゲート入りを嫌っていますが…
改めてゲートに誘導されて今、
入りましたね。スタートしました!」
5枠―ジョッキーの帽子は黄色―馬名がイエロースター。シナガワンダーのイメージカラーは黄色・・。レースがスタートした瞬間に、文也はこの奇妙な一致に気が付いた。だが気にしない。ただ、気づいただけだ。文也の狙いはあくまで「トウキョウキップ」だ!
―トウキョウキップで間違いない!
俺は出し抜く!
◇
・・・そしてレースは、ハズれた。
出し抜いてくれるはずだった「トウキョウキップ」は8着、9着といったところか。実況で名前を呼ばれることもないままただ、レースを終えていた。そして…
イエロースターは2着に入線していた。
バミューダ彼氏とピューマ彼女の2人はまた当てたらしく、奇声を上げつつハイタッチしている。その興奮は、2人で分かち合うだけでは収まらないらしく、バミューダ彼氏はその父親にでも報告しているのか「オヤジ!バカ勝ちしたから人生勝ち組だから!何でもおごってやるよ!」と電話に向かって叫んでいる。だが…
―もう驚かない。嫉妬しない。
俺には「最終レース」が残っている。
文也は自ら言い聞かせ、「平常心のキープに神経を集中させる。その効果もあってか、またもや衝撃的なことをひらめいた!
「結果が出ない時は持論を
すべて捨てることも大事かもしれない」
この日の最終レースは「品川ビール賞」という名前だった。日本で初めてビールを作られた場所はここ品川らしい。「明治2年、大井競馬場からも近い大井3丁目に設営された工場でのことだった」という史実を記念してのレースだと新聞にマメ知識が書いてある。文也は決めた。
――レースの途中で酒を飲む奴は負ける。
そんな持論は捨ててここは…
ビール1杯飲んでから勝負だ!
ビール売り場を探し歩き「生ビール600円」の看板を見つけ早速注文した。金色の1杯を待っている間に、壁に貼られてあるポスターに目が行く。CMに出演しているイケメンタレントがジョッキを手にポーズを決めているそれに、店員が勝手に吹き出しを書き足していた。
「生が美味い!最高のレース日和りに
トリカン!飲んで勝つべし!」
―まったくその通りだ!飲んで勝ってやる!
勝利の前祝いだ!トリカン!
心で乾杯の音頭を取り、グイッと一口飲んでから馬の名前をチェックした。競馬の予想は頭を使う。そのぶん、脳に周る血流も多いはずだ。ビールを飲んでいつもより早く顔が熱くなってくるのを感じていると、3頭の名前にピンと来た。
「1番 スーパーアサヒ」
「3番 シルバースピード」
「4番 ドライマックス」
正直、どれも人気薄だ。だがピンと来た。この中に激走する馬がいるはずだ。やる気のある馬はどれだ!?ハンチング親父の言葉を思いだし。念を送って話しかけてみることにした。パドックへ行き3頭に気持ちを送る。
―やれんのか!?
すると・・・1頭から返答が来た!
「ブルフン!」と鼻を鳴らしたのだ!
その馬は・・「2番 ナカジマファイト」
―ピンと来た3頭じゃねえのかよ!
文也の送った念を間違えてキャッチしたのか。しかし、やる気の念を返してくれたのはこの1頭だけだ。調べてみると14番人気。今のところ最低人気だ。どの馬との組み合わせの馬券も300倍を超えている。「面白い!この馬から勝負だ!」と決めた文也の頭の中に、その決意を応援するかのように不意にとある曲が流れ始める。
♪ファイト。戦う君の歌を戦わない奴らが
笑うだろう・・。
「この馬で勝負だ!」とスッと腹が座った。帰りの電車賃まですべてを「ナカジマファイト」からの馬券に突っ込む。このレースをはずしたら、定期券の使える品川駅までは1時間ほど歩くことになるがそんなことはありえない。なぜなら…このレースで300倍が当たるからだ!だから、タクシーで一気に渋谷まで行くことになる。その確率は100%だ!ナカジマファイトが周りの馬を出しぬいて1着でゴールするからだ!
文也の自信を鼓舞するように今、ファンファーレが鳴り響いた。レースがスタートするその直前に、残っていたビールを飲み干した。
「美味い!」
憂さが少し晴れて行く気がした!
そしてこの後、馬券が当たり、もっと憂さが晴れるはずだ!
「大井競馬。2日目。本日の最終レースは
品川ビール賞。1600m内回り。
14頭で争われます。
各馬順調にゲート入ります・・・」
いよいよ、スタートを迎える。ビールの美味さが手伝って、場内アナウンスもさらに興奮して聞こえる。隣ではバミューダが、ピューマにあいかわらず予想を自慢している。
「ここは絶対1番のスーパーアサヒでしょ?こいつ、スタートメチャメチャ速いって
新聞に書いてた。
そのままぶっちぎりでしょ?」
文也は言い返す!(心の中で。)
―それを最後にナカジマファイトが
差し切るんだよ。出しぬくんだ。
反対側ではハンチング親父がブツブツ言っている。
「これは1番人気のドライマックスで堅い。
仕方ない。調教が抜群だ。」
文也は教えてあげる。(心の中で)
―気持ちが強いのは
ナカジマファイトの方だよ。
およそ2分後に当たっている馬券は300倍か、400倍か、それ以上か。
文也の希望が膨らみ切ったその時、ゲートが開いた。
「今、スタートしました。
1番スーパーアサヒ好スタート!
これは早い出足であっという間に
後続に差を付けていきます。
・・と後ろで1頭、
かなり大きく出遅れています!
出遅れたのは2番!
2番のナカジマファイト。
ゲート内で立ち上がり、
大きく立ち遅れて6馬身、7馬身。
かなりポツンと遅れてのスタートです!」
―「・・・・・・・・・・・・・・・。」