今年で43 年

やはりこの日になると、遠い記憶のような この間のことのような

ちょっと不思議な感覚とともに圭ちゃんの笑顔が胸に去来します



今回は『おもちゃの木』の対談の流れもあり、再度 Mr.10に対談の依頼をしました


もう、40年以上が過ぎていることもあり、ファン目線とは違い メンバー自身はBMでの活動が ある意味『日常の一片』でもあった中で

その『思い出』は、とりわけ特別に鮮やかに残っているかと言えば、そうでもないようなのが実際のところなのでしょうが


 圭ちゃんのこと、圭ちゃんがいた頃のBMの裏話的なことも聞かせていただきました


※赤文字がMr.10が語ってくれた内容です




2期加入時の印象


あれから丸43年が経過したわけですが、2期メンバーとの対面も含めて、圭ちゃんとの初対面の印象というのはどんな感じだったんですか?


こっちが小学校5年生…

コーちゃんは4年生…

ヤセヤマに至っては2年生か…

3歳違いだから…

そうなるとやっぱり、5年生と2年生って全然違いますよね


逆の立場から考えると、大きいお兄ちゃんたちがいるので


全体的に大人しかったし、かと言ってこちらもそこまで気を遣って話しかけるとか…

1回2回はあっただろうけれど そんな絶えずはやってなかったから


だから、全体的に大人しい…ってイメージだったのかな?


5人いたんですよね、2期は


陽介は加入前の半年間ぐらい、(スタジオに)お兄ちゃんの裕介にくっついて来ていたから、あの中で 一番話をしてたのは 陽介かなぁ?


だから正直 ヤセヤマに関しては そんなにたくさんは話はしていなかったから…


やっぱり子ども同士だから、気を遣うとかそういうのじゃなくて

ただ、まわりのそういう雰囲気の中でどうしても  お互いの立場(先輩後輩とか)のメンバーに、近寄りたいけど近寄りがたい…というのはあったんですね


他の例えば(自分と)同じ年のカネゴンとか、 ショーちゃんなりがいて 彼らがどう感じたかはわからないけれど

少なくとも ノンノンは、別にそんなに2期やヤセヤマに対して意識するとか 気にして接するということはなかったですね


たとえば、小学校の頃とか地区で集まってラジオ体操したりとかしてましたよね

そこで 自分たちよりも2つ 3つ年下の子と接している…というのと変わらない

 

登校班で並んで学校へとかそういうのもありましたよね

そんなイメージなんですかね?


そうそう、そんな感じ



当時のオーディション


その2期のオーディションは、やはり横澤さんや 坂間さんが担当していたのですよね?


まあ 自分たちの1期生のオーディションに関しては そうだったけれど…


西条先生、服部先生あたり いらした可能性がありますが、あとはどなたがいらしたのか覚えていません 


2期生のコーちゃんやらトンバラやら ヤセヤマらのオーディションというのは、恐らく同じ様な内容だったと思いますが 定かではありません


1期のオーディションは150人くらいが集められ、歌や踊り 質疑応答などを行い

その結果1割程が選ばれた かなり大規模なものでした


けれど2期はそこまで大規模に行われていないと思います


人数も いても50人とかじゃないかな?


その基準にしても全く同じとかではなかった?


1期のオーディションほど、審査を重ねて厳選してた…というのではないのかと思えます


というのは、2期の5名はほとんどが モデルタレント事務所の FMG所属で

劇団いろはとかはいなかったですよね?


3人がFMGで、ヒラメくんが東京音楽学院…

そして、陽ちゃんが日本児童…

確かに、いろは所属はいないですね

1期には多かったけれど

 

そう、ヒラメは 西条先生や ガンちゃんの流れから加入したと思われるし

陽介はお兄ちゃんからの流れがあるのでね


そう思うとこの辺り 本人に確認すればすぐわかることなんだけども、きちんとした オーディションのようなものも していなかったのでは?と思ってしまう


ただ、コーちゃんとかは 以前

「オーディションの時に こんな歌を歌ったよね」

って話をしてたのを聞いたような記憶はあるんですよ


では、簡単な形で行われていたのかもしれませんね

人数的にも少人数であったとか


劇団から推されて…とかで参加していたのではないかな?



撮影やスタジオ時のエピソード 


2期が加入したあとで、最初にBMとしての楽曲を一緒に録ったり撮影をしたのは

『こぐまのテディ』だと思うのですが


2期として加入したばかりの圭ちゃんが、ソロだとかセンター的な立場で抜擢されたのも印象的じゃないですか 


やっぱり ああいうのって、子供なりにも 嫉妬みたいなものとか

「何で新入りのこの子が?」

っていうの、そんなのは やっぱりあったりしたんですか?


今 考えてみると、そういうのがあってもおかしくないですね


自分たちが長くやっていて、彼がいきなり抜擢されたのを見て

そういう嫉妬みたいのはあってもおかしくないけれど

少なくともノンノンはそういうのは無かったですね


ちなみに『こぐまのテディはクロマキー撮影』でした


クロマキーとは



『アメリカうまれの日本の子』はセットでの撮影で、夜遅くまで時間がかかったから

収録の思い出といえば、どちらかといえば『こぐまのテディ』より『アメリカ生まれの日本の子』の方が収録時の印象は強いですね


🟢こぼれ話 1


セットの中での撮影とは違い、『こぐまのテディ』は背景が『クロマキー撮影』であったそうです


当時ブルークロマキー撮影だったので、ブルーの背景の中で撮影をしていると 

洋服や小物などのブルーが消えてしまうんですよね


その『こぐまのテディ』の映像で、ノンノンが来ているベスト

あれは元々、ショーちゃんが着ていた私服を スタッフ判断で現場でノンノンに着せ替えさせたそうです




しかし…

そのベストの胸元にブルーの模様があったため、その模様がクロマキーの影響で透けて 透明になってしまう…


そこで、スタッフが行ったのは

『ベストのブルーの模様を、黒いマジックで塗りつぶした』

ということ!!


たまたま、その収録はノンノンとショーちゃんのお母様が見学に来ていたそうですが


自身の息子に着せていたベストをノンノンが着て 

しかも、ベストの模様を黒く塗りつぶされたのを目の当たりにしたショーちゃん母…

複雑な思いはあったでしょうね💦

(ショーちゃん母は 面白くない…といった表情だったそう←そりゃ そうだ…)


もちろん、弁償はされたようですけれど


今度、『こぐまのテディ』の初期映像を見ることがあれば

ノンノンが着ている(ショーちゃんの)ベスト、よく見ると胸元に不自然に黒い部分があるところに注目してみてください




ファンの目からすれば、圭ちゃんは踊りとか歌とか、もともと持っていた資質みたいなものはあったのかな?というか

勘の良さとか、運動神経とかも含めてそんな印象は強いのですが


子供目線というか、今のノンノン目線で言うと

ヤセヤマだけが特出していたとか、上手かったとかそういう印象はないんですけどね


確かにヤセヤマは 身体は小さくても動きが大きかったですが、それでもどんぐりの背比べかと


とりわけ明るい表情があるとは思えなくて

じゃあ、なんでそんなところから抜擢されたのか考えてみると…


元々の第1期のメンバーが、始動後 半年過ぎて、まだまだ(歌や踊りが)弱い…と思われたのかもしれません


そうなると、もっと歌える子踊れる子を(ソロとして)選出しよう…となったのかもしれませんね


すると、今までの児童劇団ではなく 異なるプロダクション等に声掛けをした可能性大かと


そこでFMGと打合せをして、推されたのがヤセヤマ、コーちゃん、トンバラなどだったのかな?と思えます


そうでしたか、そうなると純粋に

「そうか、今回は彼がソロなのか」 という感覚であった、と


当初からメインヴォーカルは、2期生加入時から 考えられていたのかも知れませんね


野球などでも、初期のオーダーを確認すると、圭ちゃんは早くからレギュラーに入ってて


一時期、サードが、ノンノンでショートが圭ちゃん

ということもあったりして、私としては

「三遊間、ハンパないな」

とかも、思ったりしたのですが(笑)


でも、あの時ってメンバーが15人でレギュラーが9人…

年長者の体格や運動能力を考えると、どうしても上(年長者)から順番にレギュラーになっていきがちで


でも、年少者がそこから続くとなる中でヤセヤマが入っていたというのは

やはり、彼の同年代の中では 身体能力が 抜きん出ていたところがあったのかと思います


🟢こぼれ話 2


『GO!GO!ビッグマンモス』や 芸能月刊誌などでも、メンバー『体力測定』的なトピックは出ていましたね


あの時ノンノンは走り高跳びで140cm程をクリアしていたようですが

実際には踏み切り足を逆にしていて

『ガチで飛んでいなかった』

という事だとか!


サスガというかなんというか…(笑)



プライベートなどでは?


スタジオでのあれこれとか、BMとしての活動以外ではどうだったんですか?

 

結局、子供の頃で学年が3つ違うとプライベートでの付き合いはほとんどなかったんですよね


個人的に(ノンノンと)プライベートの付き合いがあったのはショーちゃんで

次にアッちゃん


で、前田兄弟もしょっちゅう うちに泊まりに来ていたわけだけど


ショーちゃんやアッちゃんなんかは、仕事終わりで新宿とかよく遊びに行ってた


ショーちゃんがくると、アッちゃんもくっついて来てた(笑)


なんだかわかります、アッちゃん 子犬みたいに ノンノンやショーちゃんの後をコロコロとついていたような(笑)


ノンノンが青い10番シャツを着ていた『ニッキニャッキ』の映像とか、アッちゃんにそんな印象感じました(笑)


新宿経由で帰るとそんなメンバーで、四谷三丁目の地下鉄経由だと裕介や陽介が一緒で

帰りに ごはん食べたりもしたんだけど、裕介はいつもグラタンばっかり食べてた(笑)


そんな中で辿ると、ヤセヤマはそういうプライベートとかはなくて

ましてや、うちに泊まりに来たこともなかったし


あの頃はフジテレビは、確か夜の10:00を過ぎちゃうとタクシーで帰るようになっていて

タレントだったら1人1台でしょうけど 子供なので、同じ方面が数人 一緒に乗せられて帰るわけです


そのタクシーは、ヤセヤマと一緒のことが多くて…


フジテレビからだと、最初にノンノン、次に大森のヤセヤマ、最後に鶴見の前田兄弟だったと思います

大抵この4人が同じタクシーで帰っていました


そのタクシーの中で、何か会話などはあったんですか?


当然、会話はあったんでしょうね

でも、話の内容は覚えてない


とりとめのない、友達同士の日常会話…ってことでもあったのでしょうね


そう考えると、みなさんもそうだと思うけれど 自分のことに当てはめるとピンと来そうだけど


子供の頃の小学校の話でも 40年以上経って

「あの子、どんな子だった?」

と言われても、思い出せないことの方が多くて 


今、それを当てはめるとヤセヤマもそんな感じなんですね


そうなると、公彦だったりオートンだったりの方が 今振り返って話せることが多いんじゃないかな?


そうなると、メンバーにとっては ある意味 学校に行くとかそういう日常の中に BMとしての活動や、フジテレビの撮影があった…とも言えそうですね



あの日のこと・今伝えたいこと


実際、当時に訃報を受けた時のことは どのように記憶していますか?


自分は電話を取っていないけれど、あの頃は携帯電話とかはなかったから、家の固定電話にかかってきて


きちんとは覚えていないんだけど、家に帰ってきて母親から伝えられた、という状況です

 

まぁ ここも、想像できると思うんですが

学校の友達が事故で亡くなってしまった…と

そういう時には当然 ビックリするしね


正直子供の感覚で、自分は高校生だったけれど、現実的に受け止められないんですね

「そんなこと、あったんだ?」

「ホントかよ??」

といった記憶です


今、思い出して 距離感的なところを話すと、ヤセヤマと弟の公彦とはたまには話していたりしたけれど


どちらかというと、お母さんの方と…

若いお母さんだったから よく話してた記憶があるんですよね


当時だと25、6歳くらい?で、うちの母親なんかは自分が四男坊ということもあって40過ぎてたから


だから、お母さんというよりお姉ちゃんという感覚でよく話をしていたかな?

悪ガキのショーちゃんなんかは、しょっちゅうヤセヤマ ママをからかってた(笑)


以前、武田久美子ちゃんが出ていた番組で久しぶりに顔を見ることができたけど

当たり前だけど、年取ったな…という感覚はあったかなぁ


でも、チャキチャキとした元気な感じは変わっていなかったですね


そう、今も(ヤセヤマ ママに)たまにLINEはするけれど

「〇回忌だからお墓参りに行ってきたよ」

とか

「長者ヶ崎に行ってきたよ」

という報告をするって感じです


他のBMメンバーは なかなかお墓参りなど行かれなかったりしているみたいだから

たまには、追悼の気持ちを表すなら…

大竹さんとかもそうだけど お墓参りに行って欲しいですよね


そのあたりも含めて、今 何か圭ちゃんに伝えたい想いなどはありますか?


自分は基本、車移動がほとんどだから

ヤセヤマに限らず、横澤さんであれ ガンちゃんであれ、(お墓の)近くを通った時にお参りに寄ったりしています


わざわざ、そのために行くとか

「命日だから」

っていうのじゃなくてね


その時に手を合わせて話すのは、こちらの近況報告なんです


最近ならBMのCDが出たとか、DVD-BOXが出ただとか

「この間 同窓会があって、みんな元気だったよ」

とか、そういったところを一方的に話したりする


CDの音源をスマホに落としておいて、それを流しながらお参りする…とか


日常の中でお墓参りをして手を合わせて、自分の友達に話しかけるとか

それと同じ感覚です


「たまたま命日だから」

とかじゃなくて、命日は1つの機会ではあるけれど

何かふとしたきっかけで思い出して偲べるのであれば、心の中でみなさん手を合わせてくださいね、というメッセージと捉えていいですか?


既にヤセヤマに限らず、ガンちゃんにしても 新兵ちゃんにしても 大竹さんにしても

スタッフでも鬼籍に入られている方もいるから、思い出した時に偲んで欲しいですね


お墓参りに行くといっても、お墓の場所を知らないとか、行かれない人も当然いるわけだから


せめて、心の中で手を合わせて思い出してあげるのが供養にもなるし

形はなくなっても、心の中で生きているから

そんな風に、偲んでもらえたらと思いますね


虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹虹


メンバーだからといって、40年以上前の『日常』を取り立てて細かく 記憶しているわけではないようです


それは、対談の中でも話に出ていた

「小学校時代の同級生の◯◯さんの思い出は?」

と聞かれても、特別なことが出てくるわけでもない…

というのと同じ感覚のようですが


それでも圭ちゃんがいたころの 初期のBMの裏話や、他のメンバーも絡んだあれこれの話をしてくださり

今回も、お話を楽しく伺うことができました


私としては…

Mr.10が今も『ヤセヤマ』と呼ぶのが 妙に新鮮でした(圭一…とかじゃないのか!と 笑)


対談の中でもありますが、あまり当時の接点はなかったといいつつ、今もお墓参りにはマメに行かれているようですし

命日は思い出すきっかけに過ぎず、思い出したり 機会があるなら いつでも偲べるという気持ちを持っているとのこと


それは、他の番組関係者に対しても同じようです


そんなあたりと、BMの『兄貴分』的立場として、後輩メンバーを思い

他のメンバーやピンポンパンのスタッフの思い出も回想しながら語ってくださったのは

サスガ、リーダーだし Mr.10らしいな!

と感じさせられました


今回は、圭ちゃんのトピックではあったけれど他のスタッフの方々に対しても…


Mr.10は既に鬼籍の方々には

「おかげさまで、私達は元気に ピンポンパンやBMを楽しく懐かしく語らせていただいています」

という感謝の気持ちを持っているとのこと


私自身もそのような気持ちで こうしてファンで居続けることを ありがたく感謝したいと思います


Mr.10

いつもありがとうございます

今回も、お忙しい中をお話してくださり感謝しています


皆さんはこの日

どんな想いで圭ちゃんを偲びますか?