Anybody , Stop Me



胸がつぶれそうになるほどせつなく赤と黄に鮮やかに彩られた紅葉の渓谷に、おみさはただひとりで佇み、ゆるやかに水面を揺らす川の流れをみつめていた。
あの夏のおわりの日から、自分のなかで、これまでにない決意をかためなければならないという局面につき当たり、思い悩んだ末の独り旅であった。
何故か今回は、忠臣いさえもんもおみさを止めることはなく、くれぐれもお気をつけて、と静かに告げただけであった。
ひんやりと澄んだ晩秋の空気に優しく包まれて、おみさは不思議なほど穏やかな心持ちで歩を進めていたのだった。
旅立ちから、二日後。
おみさは、顔がほとんど覆われてしまうくらい大きなマスクをして、寝床に伏せっていた。
じつのところ城を発った日の夕刻、泊まれる宿なら一軒しか知らないのでそこを目指したものの、やはり行く道がうろ覚えだったため辿り着くことができず、あてもなく歩くうち夜になってしまったので、仕方なくあわてて城へ引き返すはめになったのである。
なんとか無事に城へ戻れたものの、寒いのは苦手なかよわいおみさが疲労に倒れ、たちまち熱を出してしまったのも無理のないことであった。
しんどさに唸りながら、自分が独りで行くと言った時に誰も止めてくれなかったせいだと、逆恨みをぼやき続け、いさえもんが作ってくれたお粥を食べさせてもらって、「やさしい味」だと思っても、そんなことは意地でも口に出さないおみさであった。
消毒シュッシュを吹きかけられながら、誰かお見舞にきたかと尋ねたが、同じく大きなマスクをしたいさえもんは首を横にふっただけであった。
先頃までは、しんのしんとはやきちが、しょっちゅう城にあそびに来ていたのだが、はやきちはお屋敷で飼い始めた大蛇の世話がたいへんだと言うし、しんのしんはなにやら転職したとかしないとかで忙しいらしく、二人ともここしばらくは姿を見せていなかったのである。
しんのしんどのから絵手紙なら来てますよ、という家老の言葉を完全スルーして、おみさはゆるゆると床から起き出し、お殿様のところに付け届けされてた酒瓶を物色しはじめるのであった。
それでも、このところおみさにはちょっと楽しみなことがあり、というのは、一部商品の出前の評判がなかなか良いじょうしろうの店で、じょうしろうの従弟のたいじろうが見習いで手伝いをしていて、毎日のようにおみさに出前を届けに来ているからであった。
おみさがこの若者をお気に入りだとわかっているいさえもんは、たいじろうが来ている間は席をはずすようにしているのだが、おみさと二人きりになるとそわそわした様子を見せるたいじろうに、ますます食指が動いてしまうおみさだったのである。
とはいえ、さすがにそこまで見境いないまねはできないので、まぁ風邪が治ったら、とか考えていたのだったが、さらに数日が経ち、体調も良くなってきたので、早速じょうしろうの店に出前を頼んで待ち構えていると、その日に限って現れたのは久しぶりのしゅんべえであった。
お見舞の言葉を申し述べるしゅんべえに、前より男っぽくなったんちゃう、などと下心をチラ見せしながらも、今日はたいじろうは休みなのかと尋ねると、しゅんべえは声をひそめて、実は、と話し出すのであった。
その話によると、じょうしろうが三日ほど店を留守にすることになったので、店をたいじろうに任せてその間の出前はお得意様だけしゅんべえが対応しているのだが、どうやらじょうしろうの用事というのは、三日間なぎのすけと同行をすることらしいというのである。
思わぬ事態に些か憮然としたおみさだったが、今日のところは仕方なくしゅんべえが届けてくれた弁当を二人で一緒に食べることにしたのだった。
それ以上のことは知らないっすよと言うしゅんべえから、根掘り葉掘り聞き出しまくったものの、じょうしろうとなぎのすけは今、ちょっと南の地方へ出かけているということしかわからないようだった。
だがもうひとつ、しゅんべえがうっかりポロリしてしまったのは、城への出前に毎回たいじろうが来ていたのは、なんと、いさえもんに会いたいからだというのである。
軽くプライドを傷つけられたおみさだったが、そのようなほほえましい二人のじゃまをするほど無粋でもないわと心中のもやもやを抑えつけようとするのだった。
それでもいろいろと治まりきらぬおみさは、弁当を食べ終わって店へ戻ろうとするしゅんべえをさらに引き止め、最近かわいいよな、などと言いながらあまーい微笑みを浮かべて寝所へ導き、たちまちのうちに目の前のターゲットを射落としてしまったのであった。
しゅんべえが帰ったあと、南の地方へ行っちゃってる二人について何か知っているかと尋ねると、いさえもんは意外なほどきっぱりと、自分の口からは言うことはできないが、何しろ嬉しい報らせを持って帰ってくるのは間違いありませんと、真っ直ぐにおみさの目を見据えるのだった。
そのキラキラの瞳を見ていると、こりゃたいじろうとうまくやってるんかなと下世話な勘繰りがおみさの脳裏をよぎるのであった。
そんなおみさの様子を窺い、だいぶお元気になってるみたいなのでお話が、と家老がやって来て言うには、おみさが独りで出掛けたり風邪で寝込んだりしている間に、若~い側室のおみつが隣国の城主に見そめられて、引き抜かれてしまったというのである。
道理で、このところずっと気落ちしっぱなしだったお殿様だが、昨日お目にかかった時、普段以上に肩を落としている気がしたのものだ、と思い当たり、さすがに胸が痛むおみさだった。
そうして、旅に出ようと思いたった目的のことをようやく思い出したおみさは、独りで歩き深く色づく紅葉を眺めながら、また寒さに震えて脚を速めながら、そして城へ戻ってから高熱の苦しさに沈みながら、そのただひとつの躯のうちに巡ったさまざまなことを改めて思い返していた。
それは、他でもない、自分がこの城にいることの由縁についてであり、さらにはこれからの意義についてであった。
そして、それへの答を自分の中に見出だせたのかどうか、確かめないままでいたことにも気づいていたのだった。
そう。
それを確かめなければ。
その夜おみさは早めに湯浴みを済ませて髪を整えると、いつもと変わらぬこの上ない妖艶な面差しで、お殿様の寝所へと上っていったのである。






この巻のおわり。