月曜日のユカ


1964年 日本映画

監督 中平康

脚本 斎藤耕一、倉本聰

原作 ミッキー安川

出演 加賀まりこ

   中尾彬

   加藤武



1964年の横浜。オンリーと呼ばれる娼婦の母から生まれたユカの歪んだ愛と自由奔放な生き方を演じた加賀まりこの代表作。



⚫︎あらすじ


横浜のナイトクラブで人気を集めるユカは、誰とでも平気で寝る一方で、キスだけは絶対に拒み、日曜日には教会へ通うという不思議なルールを持っていた


彼女の生き甲斐は「男を喜ばせること」、そこへ至上の幸福を感じていた


ユカには、同世代の恋人・修のほかに、パトロンとして慕う船荷会社の社長「パパ」がいた


パパが日曜日に家族と幸せそうに過ごす姿を見たユカは、自分もパパを喜ばせたいと願い、月曜日を自分にくれるようねだる


待ちに待った月曜日、着飾ったユカを待ち受けていたのは、パパからの「取引のために外国人の船長と寝てほしい」という非情な要求だった


パパを喜ばせたい一心でユカはその頼みを受け入れるが、激怒した修は抗議のために船へ乗り込もうとし、事故死してしまう


悲しみに暮れながらも、ユカは約束通り船長に体を許す


その後、憔悴したユカは埠頭でパパと激しく踊り狂い、踊り疲れたパパは足を滑らせて海へ転落してしまう


溺れ沈んでいくパパを冷ややかに見つめていたユカは、やがて何事もなかったかのように無関心な表情で、その場を立ち去っていく





⚫︎感想


和製ブリジット・バルドーと呼ばれる加賀まりこのプロモーション映画って感じです。


ヨーロッパのヌーベルバーグ映画を思わすような、手持ちカメラで街に出てブレブレな映像が当時は新鮮だったのでしょう。


面白いというより、1964年(東京オリンピック)の時代観を感じる映画です。


横浜の娼婦に育てられたユカ(加賀まりこ)は、母親から身体を使って男を喜ばせることを教えられます。


父親を知らないユカは、父親のような男(パパ)を喜ばせるために女体を使ってサービスします。


でも、日曜日に本当の娘と買い物をするパパの笑顔は、ユカが見たことの無い本当の笑顔でした。


家族と過ごす日曜日にユカの入る隙間はありません…。


じゃあ、月曜日はユカにちょうだい!って言うストーリーです。



⚫︎ユカの母は「オンリー」


 戦後、占領期の日本で、特定のアメリカ兵と契約をした女性の俗称です。不特定多数の客を相手にする売春婦(パンパン)とは区別され、特定の男「だけ(Only)」の相手をする」という意味からこう呼ばれていました。

 当時、敗戦直後の日本は極度の物資不足と貧困に苦しんでいました。しかし、アメリカ兵のパトロンを持ったオンリーの女性たちは、彼らから米軍専用の物資(タバコ、チョコレート、高級な衣服など)や家賃を提供されたため、周囲の日本人とは比べものにならないほど贅沢で華やかな暮らしをしていました。

 経済的には潤っていた一方で、世間からは「敵国だったアメリカ兵に体を売って贅沢をしている」「国辱(国の恥)だ」と激しい軽蔑の目を向けられました。日本人コミュニティからは孤立し、日陰の存在として扱われることがほとんどでした。

 多くの米兵は、日本での駐留期間が終わると、彼女たちを日本に残して本国アメリカへ帰国してしまいました。残された女性たちは、生活の糧を失い、再び貧困に陥るか、不特定多数を相手にする売春婦へと転落せざるを得ないケースが多発しました。


戦後の占領下でオンリーとして生きた女性の娘がユカだったんですね。戦争に負けて、アメリカ軍に占領された横浜では、そういう人もそこそこ居たのでしょう。そういう時代背景を知ってから映画をもう一度見てみたいと思います。



⚫︎加賀まりこ

1943年12月11日〜

東京神田生まれ。明星学園通学中にスカウトされデビュー。映画「月曜日のユカ」は小悪魔的なルックスと高い演技力で人気女優となった代表作。和製ブリジット・バルドーと呼ばれる。


ブリジット・バルドー

1938年9月28日〜2025年12月28日

フランスの女優でファッションモデル。フランスのマリリン・モンローと呼ばれる。ヨーロッパのセックス・シンボル。


フランス・ヌーベル・バーグ(新しい波)の映画監督ゴダールやトリュフォーとも加賀まりこは交友があったそうです↓