そもそも源氏と平氏って何?


8世紀後半に桓武天皇が、天皇家の子孫が増えたので少し減らして貴族に格下げをしました。


それは天皇家の家督争いや、天皇家にかかる経費を減らすという効果があります。


これは臣籍降下(しんせきこうか)と言って、家臣として位を一段階下げるということです。


その際に天皇家には姓が無いので、源や平という姓を与えました。


歴代天皇の皇子に与えたのが源で、その二世皇子以下には平を与えました。


そのため源氏の方が天皇家に近く、平氏より位が上になります。


その後、平清盛が平氏の格を上げて氏から家になり平氏は平家になりました。


実は氏より家の方が位が高いのです。


源の方が血筋は天皇家に近いブランドですが、途中から平氏が平家になったので平の方が上になったという歴史があります。


ただしそれは、平氏のなかでも平清盛系列だけが平家と呼ばれます。


この源氏や平氏は天皇家の血筋ですが、都に残っていても、跡目は継げない人たちなので地方に下りました。


地方に下ると、天皇に近い血筋の源氏や平氏は地方の権力者となっていきます。


鎌倉殿の13人に出てくる地方武士は、こういった人たちなのです。


ただの武士という人もいるにはいるんですが、有名武士というのは中央から下って来て土着の豪族とくっついた人たちなのです。


関東の平将門もそうです。



⚫︎感想


源氏も平氏も天皇家の血筋なんですね!でも、源氏が上で、平氏が下という話には諸説あるようです。


清和源氏と桓武平氏という有名な源氏と平氏の家系があります。



【清和源氏】清和天皇の孫 → 源経基 → 源義家 → 源頼朝と続き、武家のトップに君臨。


【桓武平氏】桓武天皇の曾孫 → 平高望 → 平清盛と続くが、短命の政権で滅亡。


その結果、源氏の方が「血統的にも政治的にも上」と考えられるようになったようです。


ざっくり言うと、源氏も平氏も天皇家の血筋です。


でも、最初に武家として政権を握った平清盛は、壇ノ浦の戦いで源頼朝により滅亡させられました。


後に源頼朝は鎌倉幕府を成立し、武家政権の創始者となりました。


どちらかと言うと、西日本で商売をして金を蓄え公家のように振舞った平氏と、東日本で剣術をみがき武士として振舞った源氏が、壇ノ浦で戦い、平氏の中心だった平清盛家は負けて滅亡してしまいます。


戦いに勝った源氏の源頼朝家が、京の都から、政治の中心を鎌倉に移し、武士による幕府をつくりました。


源氏は「天皇の由緒ある血統」+「鎌倉幕府の創始者」+「敗れなかった」+「武士の理想像に近い」といった理由で、後世の人々からより「格上」とみなされました。


一方、平氏は「公家的」かつ「短命な政権」として扱われ、やや低く評価されてしまったんですね。



鎌倉で御朱印をもらいながら散歩しました!

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