華の乱


1988年 日本映画

監督 深作欣二

脚本 筒井ともみ

原作 永畑道子

出演 吉永小百合

   緒形拳

   松田優作

   池上季実子

   松坂慶子



歌人・与謝野晶子の生き様を描いた作品です。明治から大正の革命期に生きた様々な文化人や無政府論者などとの交流も描かれています。



⚫︎あらすじ


明治34年、歌人の晶子は師匠である与謝野寛を好きになり、同じように彼に好意を持つ山川登美子に内緒で会いに行く。


晶子は寛の妻・林滝野から彼の女癖の悪さを知らされるが、それでも彼と一緒になる。


大正12年、晶子は仕事に子供達の世話にと、忙しい毎日を送っていた。一方、仕事への意欲を失った寛は、無為な日々を送っていた。そんな中、晶子は作家の有島武郎と出会った。有島は晶子に、亡くなった妻の面影を見る。


寛が登美子の叔父から推薦を受け、郷里で衆議院の選挙に出馬することを決めた。晶子は選挙活動を批判して寛の怒りを買い、東京へ1人で帰ることになった。選挙に惨敗した寛は家を出て、登美子と共に暮らし始める。


有島から誘いを受けた晶子は、彼の待つ北海道へと向かった。そこで有島と晶子は、肌を重ね合わせる。しかし晶子を東京へ戻らせた有島は、彼に好意を抱いていた雑誌記者・波多野秋子と心中する。やがて、関東大震災が東京を襲った。





⚫︎感想


与謝野晶子の生き様を見ました。


愛欲に溺れることで芸術が生まれるのか?


明治から大正という激動の社会情勢のなかで人間の心も激動していたのか?


とにかく、それぞれが身勝手で、死ぬことに安らぎを求めてしまう、そんな時代だったのかもしれないと感じました。


安らぎを死に求めていたような人たちが、関東大震災によって、全て無くなったことで、リセットされて生きていったのかもしれないですね。


吉永小百合の演じた与謝野晶子、和装から洋装に着替えたとき、ハッとする美しさがありました。


大正時代とは、和服の中にポツポツと洋装を着る人がいる、そんな感じの時代だったのかもしれません。


また芸術家とは、どこか反体制的です。そのため社会通念に対してアンチ的な態度をとります。


大正デモクラシー時代の反逆児たち、それが与謝野晶子、有島武郎、大杉栄、松井須磨子たちだったんですね。


この映画は与謝野家から「史実と異なる」とクレームが付いたそうです。


与謝野晶子が有島武郎を北海道まで行って結ばれたことや、与謝野鉄幹が山川登美子と同棲したことは無いようです。



⚫︎与謝野晶子


1878年(明治11年)12月7日

 〜1942年(昭和17年)5月29日

日本の歌人、作家、思想家。


大阪堺の老舗和菓子屋で生まれる。20歳ごろから和歌を投稿し、歌人・与謝野鉄幹と不倫関係になる。


1901年(明治34)『みだれ髪』を出して、女性の恋愛感情を素直に詠んだ斬新な作風は当時賛否両論を巻き起こした。後に与謝野鉄幹と結婚して12人子を産む。


1904年(明治37)『君死にたまふことなかれ』を「明星」に発表して論議がおこった。国の為に死ねという時代に、戦争へ行く弟に死なないでという内容だったからだ。


1912年(明治45)にはフランスの与謝野鉄幹を追ってパリに旅立つ。


1921年(大正10)お茶の水に文化学院を創設して、日本初の男女共学となる。


1923年(大正12年)9月1日関東大震災。


1942年(昭和17)荻窪の自宅で死去、多摩霊園に墓がある。


また与謝野晶子は、源氏物語の現代語訳をしたことでも知られている。



⚫︎大正デモクラシー


デモクラシーは「 民主主義。」 を意味します。大正デモクラシーとは、1910年代〜1920年代の大正年間にかけて起きた様々な、社会・文化・政治の活動の自由な運動、風潮、思潮を総称するものです。その多くが現在の日本の民主主義の基盤を作ったと言われています。


日本にも産業革命がおきて、都市部で働く人が増えましたが、労働環境は劣悪でした。極貧層が居住する「スラム」ができるなど、社会問題になるほどでした。


当時の日本は「天皇主権」とされていて、国民を主権とする「民主主義」をとなえると、天皇主権を否定することになります。

そのため、天皇主権の枠の中で、国民の権利は最大限に守られなければならないとし、「民本主義」という言葉を用いていました。