武士道 新渡戸稲造


日本のお札にもなったことのある新渡戸稲造(にとべいなぞう)がアメリカで書いた本が武士道(ブシドウ)です。


明治時代に生まれた新渡戸稲造は

『我、太平洋の橋とならん』

と考えて勉学に励みました。


あるとき新渡戸稲造は

「宗教を教えない日本での道徳教育は?」

と問われ、その問いにハッとしたそうです。


日本人は何で物事の善悪を判断しているのか?


そして新渡戸稲造は

Bushido:The Soul of Japan

という本を発表します。



武士道とは「武士がその職業において、また日常生活において守るべき道」であり、仏教、神道、儒教の影響を受けて形成されました



仏教からは、諸行無常の心を学びました

「生に執着せず、死を常に意識すること」

「どんな時にも平常心でいること」


神道からは、万物に神が宿ると学びました

「物や人を大切にする心」

「主君、先祖、親への尊敬や孝行の心」


儒教からは、孔子と孟子の教えを学びました

「知行合一という王陽明の教え」

「知識より行動を重んじるということ」



 武士の守るべき道徳には、正義の行いをする「義」、その行動を実行するための「勇」、愛情や憐れみの心である「仁」などがあります。 それらを併せ持つことで、より高い徳を身につけることができるのです。


7つの徳とは

義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義です。


義とは、損得を考えない正義のこと

人として必ず守らなければいけない道で、義は武士道の中心です。これを踏み外したものは卑怯者として糾弾されます。


戦国時代、甲斐の武田信玄は駿河の今川氏と敵対していました。そのため今川氏は相模国の北条氏と結託して甲斐に塩を売らなくしてしまいました。それを知った越後の上杉謙信は敵である甲斐に塩を送りました。これが「敵に塩を送る」と言うことわざになりました。これにより武田信玄は息子にいざという時は上杉謙信を頼れと言ったそうです。


勇とは、勇気を持って行動すること

「義を見てせざるは勇無きなり」という孔子の言葉があります。勇は義と双璧をなすもので、義の心があっても勇気をもって行動しなければ何もなし得ないということです。


いじめられている人を助けることで、自分までいじめにあってしまうのではないかと思い、何もしないことはこれにあたります。


ただ、水戸藩第二代藩主徳川光圀は次のような言葉を残しました。「生きるべき時は生き、死ぬべき時にのみ死ぬこと、それが真の勇気である」これはむやみに戦って犬死にしてはならないということです。


つまり、むやみに争うことでは無く、勇気を持って行動せよということです。


仁とは、他者への思いやりのこと

愛や寛容さのことで、とくに上のものが備えるべき優しさのことです。


源平合戦の際に源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)は、平氏の若武者、平敦盛(たいらのあつもり)を見逃がそうとしました。しかし源氏の軍勢が迫り、仕方なく敦盛を討ち取り武功を挙げました。しかしその後、直実は出家して、敦盛を供養しながら余生を過ごしたそうです。この直実の敵にさえ情をかける行為こそが“武士の情け”「仁」の精神なのです。


礼とは、真心のこもった礼儀作法のこと

礼儀とはもともと神に対する礼を表すものです。心のこもっていない振る舞いを無礼や失礼と言います。


千利休は、どんな相手でも態度を変えない心で茶道を極めました。優雅で美しい所作は人間の品格を作りあげます。挨拶や食事の作法、人前での立ち振る舞いには出来るだけ注意をはらいましょう。


誠とは、言ったことを成すこと

誠という字は言ったことを成すと書きます。これは言葉で交わした約束は必ず守るということです。「武士に二言はない」武士にとって、嘘をつくということは死をもって償うということなのです。そのため武士の世界には現代のように契約書はありませんでした。


名誉とは、自分に恥じない高潔な生き方

武士にとっては、誇りを持つことが命よりも大切なことでした。そのため武士は恥をかかされることを何よりも恐れていたのです。


西郷隆盛は、自分の利益よりも名誉を重んじた人物だったと言われています。高級取りであったにもかかわらず、質素に暮らし、困窮する人々を救済する行為は武士の中の武士だと言われました。


忠義とは、主君に対する絶対的な従順

心の底から人に仕えることです。現代で言い換えれば自分が正しいと思う道に忠義を尽くすこと、また間違っていることには勇気を持って過ちを正すことでもあります。


吉田松陰は、江戸時代に世界に目を向けなければいけないと考え、死を恐れず黒船に乗り込もうとして、処刑されるときに次のような句を残したそうです。


かくすれば かくなるものと 知りながら

止むに止まれぬ 大和魂


吉田松陰はそうすればそうなるとわかっていたにもかかわらず、日本を世界に並ぶ国にしようと考えていたんです。



⚫︎感想


新渡戸稲造の「武士道」は日本人の心を世界に広めた素晴らしい本でした。


確かに日本人には宗教という観念は薄くて、たぶん仏教なんだろうなぁ…ぐらいの感じしかありません。


それなのに、お正月には神様に手を合わせ、親を敬い、店では整列して順番を待ち、電車やバスに乗るときは大きな声で話をしないなどの礼儀が自然に身に付いています。


そんな日本人の根元が「武士道」だったんですね。


アメリカ大リーグの大谷翔平は世界一の野球選手になっても、日々鍛錬を怠らず自らゴミを拾っています。そんな武士道精神を持った日本人が一人でも多く増えると嬉しいです。



⚫︎新渡戸稲造

1862年9月1日 - 1933年10月15日


盛岡で生まれ、札幌農学校教授、東京帝大教授、第一高等学校長などを歴任し、1903年には台湾総督府臨時糖務局長と兼任で京都帝大教授となりました。

1900年には英文で書かれた代表的著書「武士道」を出版し、外国人に日本の伝統的な精神文化を分かりやすく紹介しました。

1919年には後藤新平と欧米視察を行い、翌年国際連盟事務局次長に就任して6年間務めました。北欧のオーランド紛争の解決やユネスコの前身である「国際知的協力委員会」の創設など、精力的に仕事に励みました。