晩春


1949年 日本映画

監督 小津安二郎

脚本 野田高梧

出演 原節子

   笠智衆

   月丘夢路



「晩春」で小津安二郎の映画スタイルが確立しました。のちの「麦秋」「東京物語」でも原節子は紀子を演じ『紀子三部作』と呼ばれます。



⚫︎あらすじ


大学教授の曾宮周吉(笠智衆)娘の紀子(原節子)と二人、鎌倉で暮らしている。


父は独身の紀子を心配しているが、紀子は周吉の助手の服部とサイクリングしたり、友達のアヤ(月丘夢路)と遊んだりしながら父との生活を楽しんでいる。


ある日、叔母から見合いの話をされた紀子は、父を一人にできないと言って断ろうとする。


しかし叔母は、周吉にも再婚の話があるからその心配は要らないと言う。帰宅した紀子は周吉に、再婚する意志があるのかと問い詰め、周吉が頷くとショックを受けて、父に心を閉ざしてしまう。





しかしその後、紀子は結婚を承諾し、嫁入り前の最後の旅行として親子で京都に向かう。


明日は帰るという晩、紀子は

「お父さんが好きなの、お父さんのそばに居たいの、お父さんと暮らすことが私には一番の幸せなの、このまま居させて


そんな娘に周吉は、

「お父さんは五十六だ、人生の終わりに近い。だけどお前たちはこれから新しい人生が始まるんだ、それが人間の歴史の順序というもんなんだよ」

幸せは待っているもんじゃなくて、自分たちで作りだすもんなんだよ結婚することが幸せなんじゃない、新しい夫婦が新しい人生を作り出していくことに幸せがあるんだよ」


紀子は

「わがまま言ってすみませんでした」とうなずく。


紀子が嫁いだ晩、周吉は紀子の友人のアヤと酒を飲みながら、自分の再婚話は紀子を結婚させるためについた「一世一代の嘘」だったのだと告白する…





⚫︎感想


原節子キレイです。東京物語のときよりも若いせいもあると思います。あの時代にはめずらしいクッキリした目鼻立ちの日本人離れした女優さんです。


戦後の北鎌倉駅や銀座の風景も見ることが出来ます。紀子が叔父さんと行った展覧会は入場料がまだ50円でした。


紀子の見合い相手はゲーリー・クーパー似の人とのことでした。でも名前は佐竹熊太郎という古風な名前のようです。そして新婚旅行は湯河原温泉、そんな時代だったんですね。


1949年という、GHQに占領下の日本で撮影された作品です。銀座和光は1945年1月27日の空襲で建物の被害は免れたようです。


⚫︎GHQ(ジーエッチキュー) 

GHQは、1945年8月から1952年4月まで日本を占領・統治し、民主化や平和国家化を主導しました。治安維持法の廃止や政治活動や言論の自由の保証、選挙権の拡大、財閥の解体、労働組合法や労働基準法の制定などを行いました。 



小津安二郎監督「東京物語」

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