いちご白書


1970年 アメリカ映画

監督 スチュアート・ハグマン

脚本 イスラエル・ホロヴィッツ

原作 ジェームズ・クネン

出演 ブルース・ディヴィソン



1968年にコロンビア大学で起きた公民権運動とベトナム反戦に端を発した大学で起きた学園紛争を描いた作品です。



⚫︎あらすじ


コロンビア大学に通うサイモンはボート部の練習を繰り返すだけの退屈な日々を送っていた。


というのも大学では予備役将校訓練課程の校舎新設反対運動が起こり、一部の学生や教員が校舎に籠城して紛争を開始したため、すべての講義が停止していた。


サイモンは好奇心から立てこもりに参加する。食料の調達係に任命されたサイモンは女子生徒のリンダと知り合い、ともにデモや演説会に参加するうち、彼女との仲を深めていく。


しかし同じボート部員のジョージは保守派で、学生運動をしているサイモンに反感を抱き、彼を殴りつけるのだった。


ある日サイモンとリンダは郊外の公園で黒人に絡まれ、サイモンが学生運動を撮影していた8ミリカメラを壊される。


サイモンは学生運動が保護や同情の対象にしている人達から、自分たちが理解を得られていないことをさとるとともに、暴力の前にあらゆる意見が消えてしまうことを痛感し、仲間たちに不満を吐露する。


やがて大学側は、警察を動員しての実力行使を決定する。当局は催涙ガスを噴射し、学生たちを警棒で殴りつけながら次々と引きずり出していく…





⚫︎感想


「いちご白書をもう一度」という

バンバンが歌い

ユーミンが作った歌に出てくる

映画って、これだったんですね…



「いちご白書」

この奇妙な題名は

学生の政治的な議論を

コロンビア大学の学長が

「所詮、苺が好きか嫌いかといった程度の議論だ」

と、からかったことに由来しているそうです。


ふむふむ…

それを聞いても

分かるような分からないような…


観ていても

ぜんぜん面白くない

この時代に居ないと分からないのかな?


学生運動する若者たちを

最後は催涙ガスを巻いて、警棒で叩く

スズメバチ駆除と同じやり方だな…



⚫︎概要


1968年にコロンビア大学で起きた学園紛争をモチーフとしています。公民権運動とベトナム反戦に端を発したカウンター・カルチャーが頂点に達した時代に、抵抗の聖地サンフランシスコを舞台に映画化されました。 



⚫︎ カウンターカルチャーとは

既存の文化や体制を否定し、敵対する文化のことです。サブカルチャーとも呼ばれます。

カウンターカルチャーは、社会のメインストリームを形成する支配的な文化に対置される反権威的な文化の総称です。

既存の政治体制やメインストリーム・カルチャー、大衆主義、商業主義、権威主義、伝統や古い大人の価値観などに反抗することが多いです。

カウンターカルチャーは、若者、女性、少数民族などの「社会的弱者」が主な担い手であることから、大衆的な下位文化をエリート主義的な上位文化に対置してこのように称する場合もあります。

カウンターカルチャーの例としては、1960年代のアメリカを中心に展開した若者を中心とする文化の総称が挙げられます。この文化は、既存の高級文化(ハイ・カルチャー)に対する抵抗という含意があります。


⚫︎公民権運動とは

アメリカで1950年代から1960年代にかけて展開された社会運動です。

アフリカ系アメリカ人が、人種差別の撤廃と法の下の平等、市民としての自由と権利を求めて行いました。

この運動は、1954年に最高裁で公立学校の人種分離教育への違憲判決が下されたのを機に高まりを見せました。

キング牧師らによる非暴力による運動が広範な支持を集め、ケネディ大統領が公民権法制定を準備しました。

1964年に公民権法が成立し、翌1965年に選挙権法が制定され、選挙権の平等などが実現しました。

公民権運動は、黒人教会を母体として始まりました。キリスト教の牧師であるキング牧師をはじめとする南部黒人教会の指導者が運動の戦略・戦術を決定することができたため、アメリカ国民の多くが共有する価値観を土台にして黒人たちが自らの大義を人々に訴えることができました。


⚫︎ベトナム反戦運動とは

ベトナム戦争は1961年から1975年に起きた南北ベトナムの統治をめぐる戦争で、実質、米ソを始めとする資本主義陣営と社会主義陣営の代理戦争です。

1965年以降にアメリカではベトナム反戦運動が起きました。

大学を中心に、学生や教授、知識人らによって反戦集会や反戦デモが行われたほか、徴兵カードを焼くなどの活動も行われました。

反戦運動は、長期化に伴い黒人運動や労働運動とも結びつき、1968年ごろが頂点となりました。運動の主体が広がり、一般市民や学生だけでなく、徴兵された兵士や戦地から帰還した元兵士など、米軍内部からも反対の声が上がりました。

日本では、1965年に「ベトナムに平和を! 市民連合」(べ平連)が結成され、反戦デモの実施、新聞広告の出稿、アメリカ兵の亡命支援などが行われました。また、福岡市では1965年から1973年までの約7年半にわたって、ほぼ休みなく月3回、市民による反戦デモ「十の日デモ」が続けられました。



これらの話を知ってから観ると「いちご白書」をもう少し理解することができる気がします。

この時代、アメリカではベトナム戦争に対する反戦運動が起きていて、黒人たちによる人権問題も起きていたという時代なんですね。


自分が生きている地域や時代だけでは、わからないこと、理解できないことって沢山ありますね。


そして人それぞれの性格や生きてきた環境でも考え方は全く違ってきます。


それらのことから独自の固定観念が生まれ、定着してしまう。するとなかなか変えられない自分になって行ってしまうと思います。


これからも、いろいろな映画を観て、いろいろな世界、考え方などを知りたいと思います。



⚫︎ちなみにバンバンの「いちご白書をもう一度」は当時売れはじめていた荒井由美に

「男性の曲も書いてみてくれない⁈」

と頼んだら出来ちゃった曲なんだそうです。


B面は「冷たい雨」でした。

こちらの曲はのちにハイファイセットが歌ってヒットしました。

やっぱりユーミン(荒井由美)って天才なんですね!