NINE


2009年 アメリカ映画

監督 ロブ・マーシャル

出演 

グイド=ダニエル・デイ=ルイス

ルイザ=マリオン・コティヤール

カルラ=ペネロペ・クルス

リリー=ジュディ・デンチ

クラウディア=ニコール・キッドマン

ステファニー=ケイト・ハドソン

ママ=ソフィア・ローレン

サラギーナ=ステイシー・ファーガソン


映画が作れない映画監督グイドの苦悩を描いた作品です。次々と出てくる美女の歌声とダンスが見どころです。


イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督の自伝的『8 1/2』をロブ・マーシャル監督がミュージカル映画化したものです。



⚫︎あらすじ


イタリアの映画監督グイドは次回作のアイデアが生まれずに苦悩します。


とうとうグイドはローマから逃げ出して愛人のカルラを呼び心を癒してもらいますが、そこに妻のルイザが来て鉢合わせになってしまいます。


ルイザからは愛想を尽かされ、カルラは睡眠薬で自殺を図ってしまいます。


ほかにもグイドを取り巻く女たちに翻弄されて、とうとうグイドは映画界を去ってしまうのでした…



⚫︎感想


美しい女優たちの歌と踊り

おしゃれなイタリアの街並み

グイドの乗るライトブルーの

アルファロメオ・ジュリエッタ

繰り広げるミュージカル仕立ての映画



実はミュージカルはどうも苦手です。

タモリさんもそうらしいですね。

セリフの途中から歌い出すのがどうも


ですが、美しい女優陣が多いのでついつい見てしまいます。


🎶愛人のカルラ(ペネロペ・クルス)が網タイツ姿で色っぽく歌います。




🎶そして砂浜の娼婦サラギーナ(ファーギー)が歌う『ビー・イタリアン』


“イタリア男なら

一瞬のうちに盗め

燃えるような熱いキスを”


“イタリア男なら

今 花を摘め

チャンスを逃すな”


“イタリア男なら

明日はない覚悟で 

今日を生きろ”




記者のステファニー(ケイト・ハドソン)の『シネマ・イタリアーノ』


“魅惑の シネマイタリアーノ”


“細いタイとスーツのハンサム・ボーイ”


“先の尖った靴 真夜中でもサングラス”


“グイド流のイタリアン・スタイル”




妻のルイザも歌います。


“私の夫は脚本家で映画監督

いろいろな物語を頭の中で考え出す

口をひらけば嘘ばかり

脚本が書けないのは私生活が忙しすぎる”



そして映画から離れたグイドは言います…


「この2年間

僕は学ぼうとした

自分以外の人のことを

思う人間になろうと

成長のある人間にと」


「今、僕に撮れる映画なんて

あるのかな

妻を取り戻す男の物語りか?」と。


とにかく洒落たイタリア男と美女たちの歌う姿が見どころの映画です。


“妻も愛人も当たり前なんだ ラテンは?

宗教がないと女も犯すようなラテン

理性がない”

というセリフがあります。


情熱的なラテン民族には宗教的な道徳感が必要だったのかもしれませんね。



⚫︎ラテンって何?

 ローマの南東にあった古国ラティウムに由来する言葉です。ラティウムは現在のラツィオ州です。ここにローマという都市が建設され、ローマ帝国の首都に発展しました。

 ラテン民族は古代ローマ人とその末裔で、イタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、ルーマニアやラテンアメリカの人々のことを指します。


⚫︎ロマンス語って?

 ローマ帝国崩壊とともに広がったラテン語は各地の土語と結びつき発展していきました。それらをロマンス語と言います。

 ロマンス語で書かれた恋物語が転じてラブロマンスになりました。


⚫︎マエストロと呼ばれるグイド

 マエストロはイタリア語およびスペイン語における芸術家、専門家に対する敬称です。巨匠、師匠の意です。


⚫︎フォリー・ベルジュールって?

 フランス・パリの歌劇場です。薄着の若いコーラスガールによるレビュースタイルの音楽ショーが大ヒットしました。

 ジョセフィン・ベーカーやチャーリー・チャップリンなども出演しました。


 1882年にマネが描いた『フォリーベルジュールのバー』にはバーのメイドが描かれていて娼婦であることを暗示しています。



⚫︎枢機卿

 ローマカトリック教会における教皇につぐ最高位の聖職者です。


 映画の中で枢機卿がグイドに教えを説くシーンがあります。


「なぜ性行為を見せる?

君の想像力は道徳に欠けておる

悪魔を遊ばせてはならん

 この国の女に

“娼婦”でなく“良妻たれ”と教えろ

堕落や放蕩の態など見たくない

イタリア人の誇りを示すのだ」と。