ビルマの竪琴
原作 竹山道雄
監督 市川崑
出演 三國蓮太郎
安井昌ニ
「ビルマの土は赤い 岩もまた赤い」
で始まり
「ビルマの土は赤い 岩もまた赤い」
で終わります
ビルマで死んで行った日本兵を弔うために僧となって1人ビルマに残る水島
最後まで観ると戦争による血で染まった土と岩の色をあらわしているのでしょう…
⚫︎あらすじ
1945年日本軍のビルマでの戦況は悪化していました。
そんな状況下で音楽学校出身の井上隊長(三國蓮太郎)は歌と音楽で隊の指揮を高めていました。
中でも水島上等兵(安井昌ニ)の奏でる竪琴が皆んなの心の支えとなっていました。
野営中に敵の印英軍と遭遇してしまった井上隊は『埴生の宿(はにゅうのやど)』を合唱します。すると敵軍も『埴生の宿』を歌い出し戦闘にはならないまま日本の敗戦を知ることとなります。
井上隊は降伏してムドン捕虜収容所に収容されます。しかし、なかなか降伏しない日本軍がムドン近くの山にまだ立てこもっていました。井上隊長は、なかなか降伏しない日本軍を説得しに行く役目を水島上等兵に命じるのです。
そこで井上は立てこもっている日本軍まで説得しに行きましたが、説得出来ずタイムリミットが過ぎたため英国軍の攻撃が始まってしまいます。
次々と死んでいく日本兵の死体を見て、水島は「自分だけムドンに帰っていいのか」という思いになり、僧侶となって日本兵の死体を供養することを心に誓います。
井上隊長たちは、水島に「一緒に日本に帰ろう」と何度も何度もいろいろな方法でメッセージを送りますが、水島はムドンには戻っては来ませんでした。
⚫︎感想
『ビルマの竪琴』は知っていましたが、きちんと見たのは初めてです。
音楽には、戦争中の人の心を和ませる力があるのだと思いました。
井上隊は音楽によって心を繋ぎ、音楽によって生き延びました。
あのとき『埴生の宿』を歌っていなければ、殺されていたかも知れません…
水島は、ビルマで見た日本兵の死体の山を放って自分だけ日本に帰ることが出来なかったんでしょうね。
⚫︎ビルマ
インドシナ半島にある現在のミャンマーは昔はビルマ王国でした。当時ビルマ王国のとなりにあるインドはイギリス領でした。領土を広げていたビルマ王国とイギリス領インド帝国は戦争になりました。ビルマは負けてイギリス領の一部になりました。
1942年、ビルマのアウン・サン将軍率いる独立義勇軍が日本軍と共にイギリスを駆逐しました。しかし今度は日本にビルマを占領されてしまいました。アウン・サン将軍はイギリスと組んで日本を駆逐しました。しかしまたイギリスの植民地となってしまいました。
1948年にイギリスから独立してビルマ連邦共和国となりましたが、少し前にアウン・サン将軍は暗殺されてしまいました。1974年にはビルマ連邦社会主義共和国となりましたが、だんだんと民主化運動が盛んになってきました。これを危惧した軍部がクーデターを起こしてミャンマーとなりました。
民主化をすすめたい人たちはアウンサン将軍の娘のアウン・サン・スーチーを指導者に迎えましたが、軍部はスーチー氏を現在も軟禁し続けています。
⚫︎埴生の宿(はにゅうのやど)
原曲は『ホーム・スウィート・ホーム』というイギリス民謡です。「みすぼらしくても我が家に勝るものはない」という意味の歌詞が書かれているそうです。歌いたくなる気持ちが分かります…
⚫︎竪琴
ビルマにはサウン・ガウ(曲がった琴)という民族楽器があります。水島が奏でていた小型のハープに似た楽器です。
ですが、サウン・ガウを僧が弾くことは戒律で禁じられているそうです。
まぁ、あくまで小説だということ、そして戦時中の日本兵が弾いていたという話しなので。
⚫︎ビルマの竪琴の出演者
ビルマの竪琴は市川崑監督により2回映画化されています。
1956年に井上隊長を三國蓮太郎さん、水島上等兵を安井昌二さんが演じて、1985年に井上隊長を石坂浩二さん、水島上等兵を中井貴一さんが演じました。
この1度目の水島を演じた安井昌二さんは1966年のテレビドラマ「チャコちゃん」のお父さんです。主人公のチャコちゃんは四方晴美さんが演じていました。そしてお母さんは小田切みきさんでした。
そしてなんとテレビで親子を演じているチャコちゃんの本当のお父さんとお母さんでもあります。つまり親子でドラマに出て、親子の役を演じていたんですね。
