この映画で黒人のための旅行ガイドブックというものがあったことを知りました。
黒人は差別され列車やバスにも乗れないため、一部の裕福な黒人は車を所有して移動するようになりました。
それでもガソリンスタンドで給油してもらえないことや、泊めてもらえないホテルが沢山あったようです。
グリーンブックとは黒人でも泊まれるホテルや、黒人でも食事できるところなどを載せたガイドブックだそうです。
これは事実にもとづいた映画です。
1962年アメリカ・ニューヨークの高級クラブ コパカバーナが一時閉店になってしまい用心棒だったトニーは仕事を失ってしまいます。
そんなトニーに黒人ピアニストの運転手をやらないかという話がきます。
黒人の運転手なんて出来るか!と一旦は断りますが金のため渋々引き受けます。
トニーは黒人のための旅行ガイド「グリーンブック」を渡されて黒人ピアニストのシャーリーとアメリカ南部に演奏の旅に出掛けます。
態度も礼儀もひどいイタリア系の白人トニーと、礼儀正しく裕福な黒人シャーリーのかみ合わない旅のはじまりです。
有名なピアニストのシャーリーはどの街に着いてもVIP待遇として向かい入れられます。
しかし、それは上部だけのことで黒人はレストランにも入れないし、ホテルの中のトイレも使わせてもらえません。
それを見ていたトニーはだんだんとイラ立ちを感じるようになります。
ケンタッキー州に入るとトニーはフライドチキンを食べます。シャーリーが食べたことがないと言うと、トニーは「嘘だろ、黒人といえばフライドチキンだろ!」と言って無理やり食べさせます。
シャーリーは手づかみで食べるのは不衛生だと思いながらも、食べてみると意外にも気にいります。
ケンタッキー州ルイビルにある黒人専用の汚いホテルでシャーリーを下ろして、トニーは別のいいホテルに泊まります。
ミシシッピ州では土砂降りの中、突然警察に車を止められて「夜はクロを外に出すな」と注意されます。
運転手のトニーがイタリア系だとわかると「なんだお前も半分クロか」と言われて頭にきたトニーは警官を殴り2人とも警察に拘束されてしまいます。
シャーリーはトニーに「なぜ殴った、暴力では勝てない。品位だ、品位こそがすべてにまさる」と言います。
そう言ってシャーリーは仕方なく1本の電話をかけるとすぐに釈放されます。なんと電話の相手はロバート・ケネディでした。
車内で2人は言い争いをします。
シャーリー「なんで少し侮辱されたぐらいで警官に手を出した!私は毎日侮辱に耐えている」
トニー「あんたは白人相手にピアノを弾いて良いところに住んでいる、だけど俺はアンタよりずっとクロなんだよ」
シャーリー「白人相手にピアノを弾いたあとはただのクロとして扱われる。黒人でもなくて、白人でもなくて、男でもなくて、いったい私は何ものなんだ」と嘆きます。
お互いの胸の内を叫ぶことで、より一層ニ人の心が通じ合ってきます。
アラバマ州バーミングハムのクリスマスコンサートでVIPのシャーリー様と言いながらも控室は物置部屋で、ここでもレストランには入れてもらえません。
シャーリーは入れないなら今夜の演奏は出来ないと言って帰ります。
トニーは家のクリスマスパーティーに間に合うように雪の中を車で帰路を急ぎます。
家に着いてシャーリーに寄るよう進めますが、シャーリーは断り自宅に帰り1人で寂しく過ごします。
トニーの家ではパーティーが開かれていて仲間が集まっています。
友だちから「クロと一緒でどうだった」と聞かれるとトニーは「クロはよせ」と言い放ちます。
そこへ、シャーリーがやって来ます。突然の黒人の来訪者にパーティーの仲間たちが固まっていると
トニーの妻ドロレスは「ステキな手紙をありがとう」と言いシャーリーをハグします。
ドロレスは旅の途中でトニーがくれたロマンチックな手紙はシャーリーがトニーにレクチャーしたものだと勘づいていました。
ドン・シャーリーはその後も数々の名曲を残し、トニーはクラブのコパカバーナに戻り支配人にまでなりました。
めちゃくちゃいい映画でした!
黒人の苦悩と葛藤や、イタリア系白人のアメリカでの位置づけなどを知ることができました。
※ドン・シャーリーは1927年にフロリダで生まれ、音楽の博士号も取得しているためドクター・シャーリーとも呼ばれていました。シャーリーは自分の音楽により少しは観客の心が動くと信じて、より人種差別の強い南部までコンサートツアーをしていました。実際にカーネギーホールの上に住み、同性愛者だったそうです。
※トニー・リップの本名はフランク・アンソニー・ヴァレロンガで1930年にペンシルバニアで生まれます。口が達者なためリップのアダナで呼ばれていました。ドン・シャーリーの運転手兼ボディーガードは実際には1年半ほどの勤めたそうです。コパカバーナで著名人とも懇意になり俳優や作家としても活躍しました。
※フライドチキンの話
白人は鳥の骨の少ない胴体をローストチキンとして食べていました。白人が捨てていた骨の多い羽や足を黒人が油で揚げて食べていました。そのため、フライドチキンは黒人奴隷のソウルフードです。「黒人はフライドチキンが好き」の言葉には蔑みの意味があるようです。
※ジム・クロウ法
1876年〜1964年まで存在したアメリカ南部の人種差別的な州法です。ジム・クロウの名は白人コメディアンが顔を黒く塗ったキャラクターに由来します。
アメリカ南部は農業中心のプランテーションのため黒人奴隷が絶対に必要でした。その反面アメリカ北部は工業化が進み労働力を必要としたため「奴隷解放」を宣言して新しい労働者を確保したいと考えました。
ジム・クロウ法では白人以外は差別されます。ヨーロッパ系白人以外の先住民や黄色人種も差別対象です。
この思想はアメリカには根深く残っていますが、同一民族国家である日本人にはそこまでの人種による差別感は無いような気がします。
それはもしかしたらアジア人の肌の色が白と黒の間にある色だからかもしれません。
アメリカは人種のるつぼと言います。白人系、ヒスパニック系、黒人系、アジア系などが同じ地域に暮らしています。
歴史をさかのぼるとアメリカにはインディアンが住んでいました。そこへヨーロッパ系の白人がやって来て先住民をどんどん押しのけて農場を作りました。
新大陸の農場が人手不足になったので、アフリカから黒人を奴隷として連れて来ました。
時が過ぎて色々な人種の血が混じり、黒人は徐々に解放されていきました。
それでもアメリカに住む人々のなかにはヒエラルキー的な意識が残ったまま生きているのだと思います。
