ヘルマン・ヘッセ『メルヒェン』より「アウグスツス」 | 日々の雑感

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ヘルマン・ヘッセの短編集『メルヒェン』に収録されている短編小説のひとつ、「アウグスツス」をご紹介したい。

これとよく似た話を子供の頃に読んだことがあるが、その話がこの小説の下敷きになっていると思われる。その話でも、アウグスツスの母親が「みんながお前を愛さずにはいられないように」と願い、その願いが叶えられる、というのはヘッセの小説と同じだが、結末が確かずいぶん違っていた。その話の結末はよく覚えていないが、ヘッセの小説では、誰からも愛されるアウグスツスは、人を愛することができない人間になる。

私が読んだのは新潮文庫の高橋健二訳の『メルヒェン』に収録されている「アウグスツス」である。

メルヒェン (新潮文庫)/ヘッセ

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この文庫本の最後の「アウグスツス」の解説には、「幸いなるかな、心の貧しき者。天国はその人のものなり」という聖書のことばが感動的なおとぎ話になった、と書いてあるが、私が最近この小説を再度読んでみて(短編なのですぐに読める)思い出したのは、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き20:35)というイエスの言葉であった。現にこの小説の中にも以下のような一節がある。

「彼は、求めもせず、望みもせず、受ける資格もない愛に囲まれていることに、飽き、いや気がさした。けっして与えることをせず、常にただ受け入れているばかりの、浪費され、破壊された生活の無価値を感じた。」

このあとアウグスツスは、「ぼくの役に立たなかった古い魔力を取り消して下さい。その代わり、ぼくが人々を愛することのできるようにして下さい!」と願い、それは叶えられる。その結果、彼は長い間入獄したりして苦難の道を歩むことになるが、「しかし、はでな生活を送っている最中に彼を窒息させようとした恐ろしい空虚と孤独は、すっかり彼から離れてしまっていた。」

愛を受けるだけでは空虚だったが、愛を与え、人々に仕えることによって「彼は満足し、世の中は全くすばらしく、愛すべきものだと思った。」

と、ここまで書いてきて、「人々に仕える」ことについて考えてみたくなった。早ければ今週中にこのブログに書きたいと思う。