添田は遠い昔の耽美な思い出が蘇ってきては思いがけず、クスッと笑った。
もう、戻らない時間であるということはよくよく承知していたが、今さら蔵田を恨む理由などもないような気がしていた。
あの青春さえももう戻れないけれど、添田は今さらでも真実を知ることが出来てよかったと思えた。二度と許されることではなかったとしても。悠人と関係のないあの子が犠牲になったとしても・・・。添田の手は留置所の布団にほつれている糸があった。その糸をそぉーと引っ張ったらプチッと切れた。添田はほころびた糸をそぉーと手繰り寄せると糸が再びぷちっと切れた。
文香は明後日にせまった挙式にむけて何の感慨ぶかさもなかった。ただ、これから始まるであろう日々を思うと幸せが広がるハッピーな結婚式というよりは、地獄の門が開く一日のように思われた。
(私はみずから不幸の道に進んでいくんだ・・・あの人は私の気持ちなんてわからずに他の人と幸せになったというのに・・・)
プルルー、プルルー 少し離れた鏡のところに置いてある、鞄の中からスマホが鳴っている。
文香は立ち上がりドレスをもちながら踏まないようにして鏡台のところにあるスマホを手にとり、確認すると、着信の相手は意外にも悠人からだった。
「もしもし」文香は悠人からの着信の真意を問うように神妙な表情(かお)で問いかけた。
「俺だけれど」
「どうしたの?あなたから連絡くれるなんて珍しいこともあるのね。もうじき売られていくわたしをおちょくるために連絡でもくれたの?」文香は皮肉をこめながらいった。
「おまえに最後に聞くけれど、もし、もういいというならそれ以上は俺はなんとも思わないし、何も詮索はしない。でももし、お前がこのままではどうしようもないけれど、やめたいというのであれば、俺もチカラを貸したい。おまえはどうしたい。このままでいいのか?それとも?」
「・・・それとも?」文香は心許なげに呟いた。
「やめたいというのなら力になる」
「どうやって?今さら」文香はさめたような声でいった。
「・・もし、おまえがどうしてもこの結婚をやめたいというのなら、そうしよう」
「・・・どうやって?」
「あらゆる手段を使って。もし、おまえがこのままでよいというのなら、何もしない。これが最初で最後の俺からの質問だ。おまえはどうしたい?」
「・・・」文香は黙っていた。
「・・・ん?」
「・・・仕方ないよ。もう諦めるしかない。ここまできたら諦めるしかないのよ」文香はまるで自分に言い聞かせるようにいった。
「おまえはそれでいいのか?」
「もういいとか悪いとかの問題じゃなくて、これも運命だったとしか思えないよ。だから受け入れるしかないんだと思った」文香は諦めたようにさっぱりとした気持ちでいった。
「おまえはそれでいいのか?それでいいなら、俺は構わないけれど・・・」
「・・・いいわけないじゃない?それでも受け入れるしかない」
「君はどうしたい?一番最初に結婚式を壊して欲しいっていった言葉は今も同じ?それとも気が変わったか?今の君の気持ちで答えてくれ!」悠人の問いかけに文香は黙りこんで、答えを考えていた。迷うということが完全に気が100%変わっていないことの証でもあった。
「それは、それは・・・」文香は苦しい胸の内を答えようか迷いあぐねていた。
看守者が留置所にいる添田に朝ごはんを差し出そうとせまい入り口から差し出そうとした。
「朝ごはんだ」そういって、布団にうずくまっている添田に向かっていった。
「おい、とっくに起きているはずの時間だ。起きなさい」看守者は布団にくるまり、一向に起きてこない添田に厳しい口調で言ってみても、微動だにしない添田を不審に思い見にいくと、布団が不自然にキレているのをみて、慌てて、布団を剥ぎとると、壁のフックに布が巻きつけられ、それが首にかかっているのをみて、慌てて添田の身体をゆすった。
「お、おい、起きなさい!」看守者が揺すり起こしても添田は微動だにしなかった。看守者は慌てて他の職員を呼び出すために笛を鳴らした。
「どうした?」他の職員が駆け寄ってきた。
「医者を連れてこい!!今すぐに警察病院だ!!」