妻と2人で貯めたなけなしの貯金で、今は30歳になる長男が生まれた日に...
不動産の契約をした世田谷の茶沢通り沿いの小さな8坪のアンティークショップが、僕たちの商売のスタート、原点。
それから、ずっと、生業としての商売の旅はもちろんだけど、人生の旅も、それと並行しながらしている様な気がする。
トンネルが渋滞していなければ、マンハッタンを足早に通り過ぎて...
ブルックリン?寄りの、正確にはクイーンズにある「Mayfair」という友人のショップが旅の折り返し地点。
オハイオのWarrenには親友がいて、ポーランドからの移民である祖父の代から引き継いだビジネスをありえないくらいに大きくした彼。互いの家でディナーをしたり、泊まったり、僕の娘もアメリカを訪れたり、彼の息子とも東京で会ったり。
一生に一度の様な災いがもしあったら、アメリカに来なよ!全てをどうにかするから、と言ってくれている友。
ビザは?と聞いたら、それも含めて、どうにかすると。いや、どうにもならないのがビザなんだけど、気持ちだけでもありがたい。
僕自身、アメリカのビザに関しては、移民専門の弁護士くらいの知識は持っていると思う(笑)...英語のレベルはアレだけど。
そして、災い?とか、そんなことは無い方がいいに決まっているけど...
言ってくれること自体が僕にとっては1番の財産だ。そしてその絆は子や孫の代へと引き継がれて行くと信じてる。
言うほどに容易ではないかもしれないけど、子どもたちや孫には、国境や国家みたいなものを、軽やかに飛び越えて欲しい。
もちろん、日本に軸足を置きながらでもいいし、移住してもいいと思う。
途中、荷造りをし直して、また、アンティークを探しながら、往路とは微妙に違うコースを走りシカゴへと戻る。
オヘア空港からの帰国は明後日。お気に入りの中華料理店や、ラーメン店や、ピンボール&アーケードゲームバーや、その種のミュージアムなどを訪れたり。
海外の主要都市にあるレトロゲームのミュージアム&バーの様な形態のビジネスを世界で最初に始めたのは僕だと思う。
ロンドンやパリ、ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどにある...そういった店の、たいていのオーナーは、お台場の店に彼らの店のオープン前に訪れているという。
旅の締めくくりは、いつもの”WONTON GOURMET”でいつものメニューを。