ある日のサンデー!お台場での仕事を早朝に終えて、その時間には...


一般の人は、なかなか立ち入れない上の位置からのショット!ODAIBA!



腹が減り、朝からラーメンが食べたくなる。新橋の「ほりうち」...日曜日は11時から。


大好きなラーメンショップの第1号店...羽田の「グッドモーニングラーメン」は平日は朝6時!の開店だけど日曜日は定休日。


ラーメンはあきらめて首都高へ。高速下りたら、ゆで太郎だ!Go my home!


お家に帰るぜ!ベイベー!あ、お、おー!大黒パーキングに行ってみるぜ〜!



30年?35年?ぶりくらいかな。え、え、なんだか、凄いクルマだらけ。え、え、え、僕の若い頃の暴走族ルックな旧車會のバイクもズラリ。  


ここからは、オヤジがノスタルジーに浸る、耽る、ちょいワル自慢な長文につき、苦手な方はご遠慮ください。40年近く前の話ですけど...



予め言い訳をさせて頂くと、今はアレだけど、昔は凄かったみたいな、自慢ではないし(たぶん)...だからと言って今も凄いぜ!みたいなことでも、もちろんないし...個人的な忘備録みたいなもので。


だったら、blogじゃなくてもいいんじゃない?というのは、ごもっともではありますけど、少なからずblogというスタイルだから、長く続けられているのかな?と、思ったりもして。



バイク、オートバイ...あの頃、メジャーな国産バイクではCB400FOUR以外、プレミア価格なんてついていなかったと思う。


そのCB400FOURだって、中古車としての価格はせいぜい30万円くらい〜だったし、だから新車販売価格よりも高くは無かったと思う。


CB400FOUR買うなら、普通にもう少し(20万円前後?)足して新車のCBXとかGPZがいいんじゃない、みたいな。僕はどちらも買えなかったけど。


新車を買える友人は、ほぼほぼ、なぜだか、親が「立て替えて」手に入れてけど。全然、嫌味でもなく、かと言って羨ましくもなくて。


僕はそんなことは1ミリも...親に頼むなんて考えは無かったけど。良いとか悪いでなく。


ま、やっぱり、実家は貧乏だったからかな。17歳からはバイトでお金を貯めて、大学の入学資金にしようと思っていたし、実際に卒業までに100万円以上貯めたし。ちょっとエラいかも。



埼玉県は当時...「三ない運動」の真っ盛りで。そのスローガンは「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」みたいな感じで。


でも、停学、退学のリスクを犯してまでも、3ない運度の逆を行きたいのはヤングの常で。


あ、ケッチなんて呼んでいたKH(バイクです)は、先輩から2万でどう?


なんて話も友だちを通じてあったりして...どうせボロボロのでしょ、と思ったけど。


19?歳の頃だと、先輩の内装チンチラ貼りの1978年型Zが15万でどう?とか、みたいな話も、やはり友だちを通じてあったりして。


今では、前者が200-500万円、後者が400-700万円とかのプライスですかね。


今は慣れましたけど、数年前から当時のバイクやクルマの相場が爆上がりした時は、不思議な感じがしました...アンティーク屋なのに。



僕がバイク(中型二輪)の免許を取った頃(1982年?3年?)は、なんだろう、バイク自体(販売)の全盛期の入り口で、資料によれば...


なんと、暴走族の構成員(というらしい)...が最多だったのも、1982年みたいで。


R16は千葉の先、木更津から埼玉を通り、八王子、町田を通り横須賀まで、もう本当に暴走族だらけだった印象?があります。


世代だから、暴走族の友だちや中学時代の同級生とかはいたけど。


ま、僕は硬派な不良だったので(笑)...(※暴走族が硬派じゃないという意味ではありません)元暴走族でもないし、集会とかも全く行ってないけど。


集会とかは、先輩からの呼び出しが恐くて、行った仲間は結構いたけど。


僕はそういうのは嫌いだったので、2つ上の、なんですか?総長と言われた先輩に会って断りました。近所?でもあったし...


だって小学生の頃は「バビンチョ!」て呼んで、普通に遊んでいたので...


少しだけ言い易かったし。でも、なんで?あだ名がバビンチョだったんだろう。


中学でも同じサッカー部だったし、ま、恐い2つ上の先輩ですけど...僕には優しかったんです。


自分で言うのもなんだけど、しっかりと断る後輩っていうのもあまりいなかったんだと思います。ま、髪型もマッチみたいだったし。


ツッパリ?今風にいえばヤンキーとは無縁の髪型で。ま、それは関係ないか。


だってあの頃のツッパリってリーゼントかパンチパーマとか、アフロが多くて。あ、アイパーなんていうアイロンパーマとかもあって。



その先輩は「おまえは、いいよ、大丈夫だよ」みたいなことを言ってくれました。


ま、一応、高校は、地元じゃ、名前だけは(名ばかり)...「ちょい」進学校だったし(笑) 


あとは、つるむ?みたいなのが好きじゃなかったし、バイク自体に乗ってケツを振ったり(蛇行運転?)するのが、正直怖かったかな、と。


やりたいとも思わなかったけど...「死」みたいなものに近づく感覚があったのかな。


若い頃ってそういうもの?への憧れや、刹那に生きることへの欲求みたいなものがあったりもするんだろうけど、僕自身は全く無かったので。


12歳で「愛」を知ってから、それを紡ぐことばかりを考えていました(笑) ま、笑うとこ?ことじゃないか。それは今も変わりません。


繰り返すけど、暴走族には興味が無かったし。当時の彼女が絶対に許さなかったし...


サッカー部だったし(笑)...昼間走って(部活で)夜走る余力が無いし。



中学を卒業して、なんだろう?先輩からカンパみたいなのが、回ってきた時も、高校デビューみたいな同級生がそれを仕切ってて。


これからは、ツッパるのか?族に入るのか?みたいな...だったらカンパだ、みたいな。


ちょっと前まで(中学卒業まで)僕がふざけて頭叩いてたやつなのに。


中学の同級生だった30人くらいが、そいつから友だち伝手に呼び出されて。


僕の親友だった、なんですか?番長、副番長(懐かしい、恥ずかしい)の2人は呼ばれずに...


なんですか?学年的にも、その次みたいな立ち位置(自称)だった僕はそのことは知らずに、なんとなく行って...諸々の事情?事実?詳細をその場で知って「なにぃ?」みたいな、感じで。


「あ、おまえは帰って大丈夫だよ」と。「はあ?だったら呼ぶなよ」と。


ま、そういう意味?では、青春時代、真面目では無かったけど、不良の(当時のツッパリ)先輩からのカンパも僕には(と親友2人)回って来なくて。


喧嘩ぼちぼち、逃げ足最強だったので、街中でカツアゲもされることなく...


高校デビューな同級生たちには、常に(今も)マウント取っていたので、そういう意味ではそういう点ではラッキーな青春時代だったのかなと。



あ、同級生がカツアゲされた時も、当時の川越商業高校に友と2人で乗り込んで行ったり(笑)


20歳過ぎて(22歳)...弟が川越の某丸広デパートの裏の神社でカツアゲされた時なんかは、取り返しに某川越工業高校に乗り込んで行きましたよ。


何せ、わけのわからない、一方的な正義感だけは強くて、(自称)硬派で「馬鹿」ですから。


22歳ですよ。大人なのに、今思えばガキです。今なら通報されて、事件ですよね。


でも当時の先生方は話をしっかりと聞いてくれました...いきなり、廊下から土足で入って来た不法侵入者の馬鹿な若造に対しても。



さて、オヤジの嫌な自慢話はおわりにして、当時、好きだったバイクはCBX(正確にはFがつくのかな?)と、RZ250(or 350)でした。


バイク好きなら、え、真逆じゃん、みたいなバイクです。ハイ、見た目重視なので。



そして、大黒パーキングでは5分くらいですけど、カー&バイクウォッチングをしました。



もちろん、僕の好きな「ノーマル」のCBXやRZもあって青春時代を思い出して。


もちろん、旧車會の人たちのいわゆる族車(当時の)仕様のCBXとかも、かなりの数がありましたね。あ、ヨシムラ、懐かしい!みたいな。流石に竹やりはいなかったけど。パトカーもいるし。



クルマは(たぶん)オリジナルの状態に近いカウンタックとか、僕の好きな1960年代のロータスエランやアルファロメオなどもありました。


ポルシェやNSXの痛車もあったし、普通にイタ車も多数ありました。


これまた好きなベレGや117クーペや、1970sのクジラクラウンのワゴンも!


その種のクルマはあまり好きではないけど、1度、購入を検討したこともあるランチアテーマ8.32もずらりと並んでました。


(その頃は128万円なんてプライスだったのに、今じゃ高額過ぎて購入できない!)


妻の好きなRZV500もありました。結婚前、妻が真剣に買おうとしていたバイクです。


(その頃は38万円とかだったのに、今じゃ500万!とかもあり購入できない!)



今度は、大黒パーキングで、妻とサンデーデートしようかな?あの頃を思い出しながら。※パーキング内での長時間駐車は禁止です。



ハイティーン・ブギ 未来を俺にくれ

ハイティーン・ブギ 明日こそおまえを

倖せにしてやる これで決まりさ

Lyrics by Takashi Matsumoto



十七で知りあってから

二つ目の四季が過ぎ 

来年の夏 二十才になる

その時まで一緒に生きてくれよ

Lyrics by Takashi Matsumoto 



ペーパー・カップのココアを飲んで 

寒い街角よく歩いた 

これきり逢えなきゃ 俺の明日は 

引き込み線の錆びた線路さ迷路さ

 WoW WoW WoW 


冷たい仕打ちはただのジェラシー 

醒めたなんて てんで誤解さ 

ボニーボニー 

イチゴのような君のくちびる 

ボニーボニー

霧の中へと 消えないでくれ

孤独にしないでくれ 

ボニーボニー AH 愛してるぜ!!

Lyrics by Takashi Matsumoto 


All songs: Singer by Masahiko Kondo



大黒で 族車眺めて 春うらら


春霞 醤油ラーメン ミニカレー


マッチだぜ! ギンギラギンに 

さりげなく 春の海見て 生きるだけさ!


Lyrics by me ※愚作なのは百も承知之助