色々とアルバイトはしたけど。すかいらーく、ダスキンのセールス、引越し、新聞配達、競売物件の片付け、少年サッカーのコーチ、幼体連的なサッカーのコーチ、カメラマンの助手(カメラの知識はありません)、古本屋、ホテルで寝るだけの仕事…
そして高校の時、セブンイレブンでアルバイトをしていました。サッカー部をdrop-outして数ヶ月経った頃から、3年の夏休み前までかな。
1983年秋から1985年のシーズン…一応?受験生だったから、3年の夏休みからは受験勉強しなきゃ、ということで。
大学に入って、もう一度サッカーをやりたかったから、そして両親に経済的な負担をかけたくなかったら、受験勉強よりも必死でバイトして。
時給420円で68,000円くらい稼いだ月もあって、そしてその頃の郵便局の積み立て定期?が、たしか年利6〜7%だったこともあって、2年弱で100万円を貯めることができて。
大学の受験に関する費用は全部自分で出して、愛知学院大と、日大、明治の2部は受かったんだけど、受かるはずの無い早稲田には落ちて、浪人を選択して。※当時サッカーの強かった体育系でない大学が志望でした。
受験費用を差し引いても、結構な貯金が残って、そのお金を予備校の費用に充てて。
話は変わるけど、1986年の春に調布のフレンチレストランでバイトしながら、早稲田予備校に通った時の時給が650円で。
夏には850円になって。その頃、ケンタッキーの店頭で見たアルバイト募集のチラシ?が1,000円だったのを覚えています。バブルの始まりかな?
難しいことを言えば、その頃からもう30年以上、都心部を除いては外食産業の時給はほとんど変わっていないと思います。
デフレ、デフレとはいえ、物価はそれなり?に上がっているからね。
例えば、当時(1989〜)僕が好きだったユーノスロードスター…新車の販売価格だって、現在は倍近くのプライスになっているし。
興味自体が薄れたのかもしれないけど、金銭面に於いても若者の車離れが進むわけです。
で、突然、話を戻すと…その頃(本部からは禁止されていたけど)賄いで良く食べた「廃棄予定」の弁当で大好きだったのが、今回のタイトル「イカフライおかか弁当」だったんです。
最近はコンビニの弁当コーナーなんて全然見ないんだけど、ん?と思って見てみたら、我が青春の「イカフライおかか弁当」があって。
少し細長くてべちゃっとした「かき揚げ」は無くなり、結構多めにあった「炒り卵」も少しになり、「おかか」もだいぶ減って、全体のサイズ自体も小さくなったけど、あの雰囲気だけは感じ取ることが出来て、あの頃を思い出して。
一緒にアルバイトしてた某高校のミスコン優勝者の女子ともお付き合いして、今は和菓子屋さんに嫁いでるけど。男ってバカだな、と。
初デートがエレクトリカルパレードの初日だったな、なんてことまで思い出して。ほんと、バカ。
あとは、そうだ!「じゃがまるくん」と「スラーピー」が復活してくれないかな、と。