だいぶ涼しくなりました。庭で野菜を色々と。取って、採って、何にするかな?と妻と考える。
手っ取り早くじゃないけれど、切って混ぜてサラダ?らしき物を。
結果、右下から、上記の素材のサラダと、その左手、時計で言うと6時の位置から8時の位置には、お麩の卵とじ丼を。
左上は自家栽培?の椎茸の水煮。上中央には長男が買って来たブリカマを。
右上1時から3時前の位置は、これまた?長男が漬けている糠漬けの茄子を、長男が切って食卓に。
プライス的には贅沢ではないけど、ボチボチ贅沢な夕餉だと、個人的に思います。
冷飯と卵だけのチャーハンだって、どこかに出かけるカネも無く、自ら小麦粉から打って、そして近くの河原で自ら子どもたちと一緒に蓬を摘んで揚げた…かき揚げをトッピングした蓬かき揚げうどんだって、子ども4人、僕と妻、笑顔で食べましたよ。若かりし今よりもボンビーな頃、ある意味「贅沢」なうどんでしたね。
あの感情、情景を共有するという意味では、もう2度と作れない、食べることのできない「一食」だったかな、と。
何を食べるかは、もちろん大切。誰と食べるかも、とても大切。
だからこそ、自分1人で食べる時は、ま、色々考えて、選択します。
たぶんと言うか、絶対?に、意地汚いと言うか、タダ食べることが好きなだけかな?とは思ってます。