阪神・淡路大震災から28年。

 

仕事に行く前に見たニュース映像

建物が倒れ、火災になって

特番になって今どうなっているか

わからないというのが本当に

怖かったのを覚えています。

 

 

平成7年は、私は小学校の栄養士として

初めての勤務地で3年が過ぎました。

 

初めての上司となった教頭先生に

「りえ先生、ここでの生活が

これからの仕事の物差しになる。

いろいろ教えてもらえるときに

学びなさい。」と言われたことを

ずっと覚えています。

 

初めての勤務地は小学校。

でも隣にある中学校にある給食も

作るという「給食センター」でした。

小学校も各学年1クラスで

担任の先生と保健の先生、事務の先生

調理員さん2名で、「箱入り娘」と言われた

くらいの私は。東京の大学から一気に

山の中の可愛い小学校へ。

コンビニもない。

食堂もない。

水道はたまに止まるくらいで

いろいろな経験をさせてもらいました。

 

「箱入り娘」

亡くなった母が本当にいろいろやって

くれたことにいっぱい甘えていました。

仕事をしていることが偉いんだと

(今だと勝手に思ってました。)

この時代は通勤で体力を奪われていました。

 

息子が大学生になって

私は本当に何にもやらないんだから

うちのことをやらないことにイライラ。

ずっとしていました。

最近、この時代のことを思い出します。

 

自分の夢だった小学校の栄養士。

なってはみたけど、こんなだっけ?

悩むことばかり。

 

小学校の行事ごとにあるお疲れ様会は

居酒屋さんはないので、集会所。

若い私たちが先に言ってテーブルや座布団

出して並べて、コップを出して洗って

仕出し屋料理を並べて・・・

瓶ビールや瓶ジュースを並べてそんなことを思い出します。

 

この小学校の3年間で

印刷機やコピー機の整備も一人でできるように。

給食会計には簿記が必要だと夜学校に通って

簿記3級を取ったな。

初めての授業もここからだった。

初めての給食はあまりにも緊張して食べられず

職員室で泣いたこと。

みんなで運動会やマラソン大会やプール掃除、

入学式や卒業式などの準備をして本当に

仕事をする人間としての基礎を学んだと思います。

 

たくさんの人に支えられての28年間。

亡くなった母に親孝行はできないけど、

行動がそっくりになってきた私は

母と同じことをすること。

家族を大事にすること。

それでいいのだ。

勝手に納得しています。

 

 

息子に対してのイライラは

大学だけでなく、バイトも頑張っているので

ちょっとの期間「箱入り息子」でも思いつつ

うちにはほとんどいないから箱に入っていないけど、

やっぱり私が後悔しないように、

あのとき、やってあげればよかったと後悔するなら

やってあげようと気持ちを切り替えるように

なるとちょっとストレスが軽減したかも。

 

「当たり前も」

「普通も」

昔ならきちんとあったけど、今はわからない。

 

ならば後悔ないように

「今やれることを今やろう」と思います。

 

今年は

「未来のだれかに届けたい わが家の味」

ということでレシピ投稿だけでなく

料理教室の活動もしたいと思っています。

 

最近、back numberの水平線が好きで

涙活してしまいます。

 

 

1月17日。

今日も大事に頑張ります。

 

 

 

うさぎクッキー2023年 私の活動テーマうさぎクッキー

 

未来のだれかに届けたい わが家の味

 

 

    

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(浦安・行徳・葛西・いちかわ新聞)

2021年4月より月1回レシピ掲載しています

赤ちゃん2022年11月掲載お母さん

 

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福島クッキングアンバサダー第3期が発信♪
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