ヨハネ福音書 21章9,10節 (5)    炭火の上のパンと魚 | ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書20章 21章

ヨハネ福音書をとおしてイエス・キリストを知る

ヨハネ 21:9
こうして彼らが陸地に上がったとき、そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た。

9節では、大漁の魚を引っ張りながら、いよいよ、弟子たちが、
イエスのおられる陸地に上がって行ったことが書かれています。

陸地に上がった彼らが、真っ先に見たものは、イエスのお姿ではなかったのです。

彼らが一番初めに見たものは、炭火と、炭火の上に乗せられた魚とパンだったのです。

魚とパンというと、ヨハネ6章に書かれていた、男だけで5千人の給食を、たった5つのパンと、
2匹の魚でイエスがなさった事を、思い出しませんか。

ヨハネ6:8~9
弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。
「ここに少年が大麦のパン5つと小さい魚を2匹持っています。
しかし、こんなに大勢の人々では、それが何になりましょう。」

11節
そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。
また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた


イエスは空腹を抱えていた多くの群衆に、実際の食物としてのパンと魚を十二分に与えてから、
いのちのパンとして、地上にくだって来られた、ご自分の使命と、イエスを遣わされた父なる神の、
み心について人々に話されました。

神と人との、分断されて、決して回復の見込みのない関係を、イエスが、いのちのパンとして
下ってこられたことによって、和解に導き、永遠のいのちを、再び人々に与えるために来られた。
と話されたのです。

具体的には、このいのちのパンであるイエスご自身を食べるのなら、イエスが流された契約の血によって、神との和解が成立すること。そして、神との和解が成立したことによって、再び永遠のいのちが、
人に与えられる、ということを群衆に話されました。

ヨハネ6:57
生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、
わたしによって生きるのです。
これは天から下ってきたパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。

この6章の時の出来事を、良く注意して見ると、少年から受け取った5つのパンと、小さな魚は、
炭火の上に乗せていません。イエスはそのまま、パンと魚を、天に向かって感謝を捧げてから、
人々に配っています。

しかし21章の、復活のキリストが3回目に弟子たちと対面したこの時は、イエスは、
ご自分が用意されたパンと魚とを、炭火の上にのせられたのです。

炭火とは、何を現すものでしょうか。
それは、復活したイエスが、40日間の時を経て、昇天し、父の右の座に着かれた時、
全世界に、復活のキリストを証し、神側の真理を証するために、地上に来られる、
もうひとりの助け主、聖霊を、イエスは炭火によって現したのです。

ヨハネ15:26
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊が
わたしについてあかしします。
あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。

ヨハネ16:13~
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたを、すべての真理に導き入れます。
御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることを
あなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、
あなたがたに知らせるからです。

聖霊について語られたイエスのことばは、山ほどあります。
使徒の働きに入ると、聖霊の働きが、具体的にどのようなものであったかが分かります。
しかしこの時の弟子は、百メートル足らずにいた、3年半も共に過ごしたイエスのことが、
分からなかったのだから、未来のことなど、分かるはずもありません。

しかし、聖霊は、この後、かつてイエスがなさったこと、言われたことを、ことごとく、
弟子たちに思い出させるのです。現に今学んでいる、ヨハネ福音書も、聖霊によって
書かれた書物でしょう。

イエスが昇天され、弟子たちだけがこの地上に残り、イエスの働きを弟子たちだけで
継承していくために、イエスは父なる神の元から、聖霊を彼らに遣わされたのです。
土台となるのは、イエスのことばに働く、聖霊であることを、イエスは炭火とパンによって
示されたのではないでしょうか。では、炭火の上に載せられた魚、とは。
それはもちろん、人間をとる漁師としての、弟子たちのことではないでしょうか。

聖霊によって、彼らが聖められ、聖霊によって用いられ、聖霊によって、神の出来事が、
彼らを通して全世界を覆うのです。このことが、必ず来ることを、炭火の上に載せた
パンと魚で、イエスは示されたのです。

21:10
イエスは彼らに言われた。「あなたがたの今とった魚を、幾匹か持って来なさい。」

あなたがたのとった魚、とは、使徒となった彼らが、実際に聖霊の働きによって、
みことばを語ったとき、みことばの網にかかった、つまり、サタンに牛耳られたこの世から、
救われた人々のことではないかと、思います。イエスが初めに用意したのは、人間をとる
漁師として、聖別した弟子たち。

この弟子たちを、イエスが念入りに祈って、準備しました。

今度は、その弟子たちの宣教の働きによって、救われた人々を、イエスは、
「わたしのところに持って来なさい。」と言われるのです。

救われた人々を、救いに導いた人が、自分の所に囲ってはいけない。
救われた人を、イエスのところに持っていき、イエスとの一対一の直接の関係に導くことを、
イエスは弟子たちに語られました。