といっても一般的に「アホ」と言われる人間の話ではない。
私いつもブログでアホアホ言っているので、ここで自分なりの定義を書いておきたい。
そのアホの定義とは…
「視野が狭い」
これに尽きる。
どんだけ勉強ができても視野が狭い人間はアホである。
例えば自分が見てるVtuberアンチがクソほどアホな理由はこれである。
例えばVが「Aというコンテンツ」とコラボする。
すると必ずAのアホなファンから下らないクレームが来る。
「バチャ豚は~」「Vはキャバクラ」
などなど。
でもこれ、全部ブーメランで、自分が気持ち悪くて厄介な害悪オタクであることがほとんどである。
なぜならアンチが言う「バチャ豚」はゲームもアニメも漫画も映画も見てるような人が多い。
もちろんAというコンテンツも知っている。
色々なものを見て色々な経験をしてるから視野が広く色々なものに偏見をもたずに寛容である。
一方アンチはAという1つのものしか見ず、排他的で視野がせまいから、自分の好きなもの以外はすべてに攻撃的である。
リアルでだれにも相手されないのはそういう所だって気づいてない。
アホな人間ほど自分がアホだってことに気づいてない。客観的に自分を見ることができない。
そしてアホなやつになればなるほどえらそうで上から目線で決めつけたがる。
例えば将棋の藤井君。
藤井君が高校へ進学するかどうか迷ってるときに、えらそうに
「高校は行っといたほうがいい」
とか言うアホがヤフコメにたくさんいた。
お前みたいな底辺ゴミクズ頭脳がなんでえらそうなんだよ(笑)
プロ棋士はめちゃめちゃ狭き門である。
東大なんかよりはるかに難しい。
自分の時代は、であるが、東大受験の合格者は3500人、京大受験の合格者は3000人いる。
他にも難しい大学の学科はたくさんある。
全然大したことない。たいして狭き門でも無い。
才能もある程度はいるが、将棋や囲碁などの頭脳ゲームほどは必要ない。
だからせめて意見するなら最低東大ぐらいに受かってから言えよ、と。
なんでいままで頭脳で努力したことも勝負したこともないおまえごときに意見されなければならないのか。
スポーツで言えば今までボールトバットに触ったことすらないズブの素人がプロ野球選手にえらそうに意見するようなもんである。
せめて主力選手として甲子園でいいとこいくくらいの実力をつけてから言え、と。
それと同様である。
ここら辺も視野の狭さからくる。
自分がめっちゃ狭い経験しかしてなくて、それが世界のすべてだと思ってるからこんなえらそうなことが言えるのである。
経験が乏しいから、他の世界に対する想像力も全くない。
こういうのを見ると、イラっとすると共にいくらか共感性羞恥?を感じる。
クッソ素人が歴々のプロにドヤ顔で意見するのである。
自分がそれをやってると思うとめっちゃ恥ずかしい。
せめて自分みたいに誰も見ない日記ブログで好き勝手感想を言ってるだけならまだしも。
しかしアホの中にも可能性を持ったアホもいる。
例えばVアンチだったのに、見て見たらハマった、みたいな人。
こういう素直に自分の間違いを修正していける人は強い。
自分だったらこんな素直に認められるか自信が無い。
そういう人は素直に色々吸収して賢くなる可能性を秘めている。
少なくとも自分よりは。
〇藤井君の進学は是か非か
ちょっと話題をそれて。
自分は最初、
「高校は進学しない方がいい」
という意見であった。
一番実力が伸びる時期に学校という無駄な時間を過ごす意味はないと。
しかしその時の自分の将棋の認識がちょっと足らなかった
将棋は繊細な競技なようである。
トップ棋士がバランスを崩して陥落していく。
逆にある棋士がバランスを得てぐいぐい伸びていく。
将棋はそういう部分がある。
藤井君はもう読みの力は極限まで来てるし、進学して将棋とは違う人生経験
を積むのもいいのかもしれない。
もしかしたらその経験が将棋にも生かされる時がくるのかもしれない。
そう思うようになった。
自分は囲碁をベースに考えてたから初め進学しない方がいいという意見になった。
囲碁は英才教育が後々ものすごく効いてくる競技である。
井山さんは高校へ行かなかった。自分も囲碁ではそれが正解だと思っている。
だから才能のある子どもは特別枠でもいいからプロにして強い棋士と打たせる必要がある。
それが英才教育である。
例えば菫ちゃんがそうである。
しかしヤフコメは「客寄せパンダ」だのなんだの言っていた。
囲碁を1ミリも知らないアホが恥ずかしげもなくよくそんなことが言えるな、と。
その英才教育のおかげで菫ちゃんはプロの上位1/4以上に入る立派なプロの実力をつけた。
そしてさらなる英才教育のために韓国へ。
しかしヤフコメのアホはそんなことも全く知らないだろう。
将棋の記事も囲碁の記事もヤフコメはそういう底辺頭脳のアホばかりなのであった。
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以上。
自分なりのアホの定義でした。
まぁ、これは仕方ないことではあるんだけど。
アホほどこっちが赤面するようなアホなことを臆面もなく言う。
そういうものである。
まさしく
「知る者は言わず、言う者は知らず」
である。