ロシア人の名前は長くて覚えられない。名と父称と姓の組み合わせのどれが選択されるかも場面によって異なるし、これに愛称が加わり、それも一つとは限らない。父称と姓は性別により語尾が変化する。
これを翻訳者はあだやおろそかに扱ってはならぬ (場合もある) し、読者はあだやおろそかに読んでははならぬ (場合もある)。
ということをあらためて考えたのは、『アンナ・カレーニナ』において他の章では愛称の Долли が使用されている Дарья Александровна Облонская が 6-12 章では軒並み Дарья Александровна で名指されていることを不思議に感じたせいである。この章ではまた人称代名詞 (она, ей) で受けるのが普通と思われる* 個所でもこの固有名詞が使用されている。
ふと思いついたのは、作者の視点から記述される三人称の地の文ではなく自由間接話法であることを示す標識の役割を負わされているのではなかろうか、ということだ。
だとしても、そういう標識を翻訳としてどう生かすか、そんなことまで考えていたら、やってられねぇぜ、と私なら感じるだろう。だったら原文を尊重してそのまま訳すのがもっとも無難ということになるが、そうすると、ロシア人の名前は... との不満を置き去りにしてしまう。
それが嫌な人には読んでいただかなくて結構、というご時世でもないみたいだし。

* 中級にさしかかったばかりのロシア語学習者の "思われる" だから、あてにはならぬ。