フィリピ 3:3-6 神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉を頼みとしない私たちこそ真の割礼を受けた者です。とはいえ、肉の頼みなら、私にもあります。肉を頼みとしようと思う人がいるなら、私はなおさらのことです。私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義に関しては非の打ちどころのない者でした。

サウロ君は、親 (今の日本なら母親となるが、超父権的なユダヤ社会においては父親) に褒めてもらいたくて、懸命にいい子である自分を演じていた。ところが厳父を演じることをよしとしていた父は、サウロのやることなすことに粗をみつけて、言葉と体の暴力をもって支配・被支配の関係を維持・強化することにしか興味がないような毒親だった。父子関係を拗らせたサウロは教祖が磔刑に処せられたような怪しげな新興宗教に走ってしまった。というのはいかがだろう。

 

それは冗談として、人が犯す罪ではなく、人である罪、単数形の (いわば大文字の) ハマルティアとは、自分が存在してはならぬものであると考え・感じること、という線はどうだろうか。

そういう存在を作り出すのは簡単なこと。幼少期の子どもを、お前は悪い子だと親が否認し続けてやればよい。