「正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される。」(ja.wikipedia)
■ 解釈 1.
3 が座りがいい。2 だとこけそうだし、4 以上は、四の五のいうな、ということなる。
聖霊とは数合わせのためのおまけだから、三位一体を巡ってこ難しい議論を重ねたところで腑に落ちないのは当然だ。
■ 解釈 2.
「1-1 初めに神は天と地を創造された。1-2 地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。1-3 神は言われた。「光あれ。」すると光があった。[...] 2-7 神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった。」
(『創世記』)
聖霊とは神の息吹きの謂いであって、それが吹き込まれてある限りにおいて人間と同義という考え方は無理なのだろう、多分。
とはいえ、すべての人間に吹き込まれているはずのプネウマと、ときに訪れたり、ときに不在だったりする (らしい) プネウマとの関連はどうなるのだろう。
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「あなたが理解できることは、おそらく神ではない」(アウグスティヌス)
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父と子と聖霊の名においてアーメン。