ルネ・モーリス・ガットフォセの一生 パート2 | フランスの自然療法で美しいからだとこころを手に入れる Île des fleurs Paris イル・デ・フルール・パリ

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パリ在住19年のTomomiが、フランス本場アロマテラピーや自然療法のお話、日常生活をお届けします

こんにちは。アロマトローグのTomomiです。

今日はルネ・モーリス・ガットフォセの一生 パート1の続きです。

第一次大戦後、化学者ルネ・モーリスはどのように過ごしていったのでしょう。
戦時中に負傷し、化学者として安全な部署に異動になりますが
同じ会社を経営していた2人の兄弟は戦死してしまいます。

戦後、一人残されたルネ・モーリスは経営していた会社をもとにして
リヨンの仲間と共同出資、新しい芳香製品の会社を設立します。
活動範囲を広げ、大きな工場を所有して、たくさんの製品を生み出しました。
合成香料、殺虫剤、ペット用絆創膏、衛生を目的とした製品など
30年には600を超える製品がカタログに掲載されています。
でもこちらの会社の経営はそれほどうまくはいかなかったようです。
結局工場を閉鎖し縮小して、会社を家族だけで所有するようにします。

ルネ・モーリスは最終的には、会社経営者としての社会的地位を得ます。
自分の会社だけでなく、彼が列挙しきれないほどの協会、組合の役員をつとめていたことも
彼の経営者としての手腕を買われたからでしょう。

ルネ・モーリスの人生の後半では、著作家としての才能も発揮します。
まずは精油の効能に関する記事や著作の執筆に専念します。
精油によるテラピーという本をすでに出版していた医師と一緒に仕事をしていたそうです。
1937年にやっと、ルネ・モーリスは有名な『アロマテラピー』という本を出版。
精油による療法の過去の刊行物をまとめ
一緒に働いていた医師が病院で行った療法などにも触れている本です。
でも残念ながら、抗生物質が医療の現場でメインに使われると同時に
この本もみなの記憶の片隅に追いやられて行ってしまいました。
彼は歴史小説、哲学本、コスメと美容の本などたくさんの著作を世に送り出しました。
1950年に出版されたコスメの本を残してルネ・モーリスはモロッコで永眠します。

いかがでしたか?
アロマテラピーの生みの親なんて言われているルネ・モーリス・ガットフォセ。
意外にも家族経営の香料会社で合成香料の研究をしていた化学者
(調香師と言ってもいいかもしれません)
戦後は香料やコスメ、医薬品を扱う会社の経営者
地元の組合や協会のお偉いさんとして名を馳せ
歴史小説や哲学本からアロマテラピー、コスメの本まで幅広いジャンルを扱う著作家
という側面もあったようです。

精油での治療法(アロマテラピー)の研究に人生を捧げた人かと思ったら
守備範囲は結構広い人でした。

きっと、フランスでいうアロマテラピー(精油による治療)に尽力した人だったら
現在もある彼の会社では、精油を売っていたかもしれません。
精油のブランド、ドクター・ヴァルネみたいに。
が、こちらは医薬品と化粧品の会社です。
精油もアロマテラピー用品も売っていません。
これが彼の本来の姿かなと思います。

でも、ルネ・モーリス・ガットフォセがやけどに遭い
ラベンダーの精油で回復が見られたことに端を発し
精油の効能に興味をもち、その成果を
『アロマテラピー』という本にして出版するとともに
精油による治療をアロマテラピーと名付けたこと。
これは紛れもない事実のようです。
それをドラマチックに語っているかどうか、の違いかな?

ガットフォセのドキュメンタリーを見たので
次回はその感想を書いてみたいと思います!

ガトフォセ
写真はwikipédiaからお借りしました