4月に厚生労働省に申請していた、母方の祖父の海軍履歴の返事が今日届きました。

申請の経緯は以下参照
後回しにしてきたこと | フッカーのブログ
https://ameblo.jp/ilbb9002/entry-12368921331.html  





中には、海軍履歴原表とふ慮名票が入っていました。



履歴(写真左)には、いつ海軍に入隊し、どこの施設で訓練を受け、どういう階級だったかが記されています。


わからない部分もありますが、読んでいくと、

祖父は、
昭和16年6月に入隊、
昭和17年5月に重巡洋艦 鈴谷の乗組員となる
昭和19年10月、レイテ沖海戦で鈴谷沈没
(その後味方の船に助けられたと思われる)
鈴谷沈没後は、フィリピンのルソン島で戦う
昭和20年9月12日(終戦後)、連合国(米軍)の捕虜となる
約1年捕虜収容所で過ごし、
昭和21年10月、フィリピン マニラから名古屋に戻ってきた

ということがわかりました。



私は19歳から東京に来て、祖父とは離れていましたし、そもそも祖父は戦争の話を積極的にすることはありませんでしたので、時系列的なことを含めて、初めて知ったことばかりでした。



この資料は、母や母の兄弟にコピーを送ってあげようと思っています。




当たり前ですが、祖父が戦争という私たちには想像を絶する過酷な状況を生き抜いたから、今の私がいるわけです。

ありがとうという感謝と共に、その時代のことを深く知りたくなりました。











おじいちゃん、海軍時代の軍歴を調べたよ。
遅くなってごめんね。
おじいちゃんが生きているうちにもう少し話を聞いておけば良かったよ。
きっと孫の俺には聞いたら話してくれたよね。

小学生3年生の時の町内運動会の親子3代リレーで、第一走者の自分が3位でバトン渡したら、おじいちゃん、すごい速さでごぼう抜きして、会場からどよめき起きたよね。

大学在学中、時々実家に帰ると、大体家の前の畑にいたよね。
口数の多い方でなかったけど、
「元気でやらなあかんぞ」って。

色々思い出すね。



おじいちゃん、どうか安らかに。