デッド・ロック | ヤマ猫のブログ

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瞑想、精神世界、NLP、催眠療法などなどについての雑感。

「魂にはものすごい力がある」ということには、このページの読者なら賛同いただけると思う。

実際、かなり堅い素材のスプーンを曲げてしまう人も、けっこういるみたいだ。これはスゴイことだ。

モーゼに至っては、エジブトの軍勢に追われるユダヤ民族を助けるために、紅海を真っ二つに割った、という話も残されている。

ところで「心は史上最強のコンピュータである」と言う人がいる。

少々イジワルな意味で、この例えはオモシロイ!

仮に、心や魂が、最強のコンピュータであるならば、最強のコンピュータの弱点は、心や魂の弱点となる可能性があるからだ。

実際、私たちは、誰も全知全能ではない。誰にでも、何がしかの限界や、盲点、アキレス腱がある。

そのような弱点にも注意しておいたほうが、本来の能力をいかんなく発揮できるだろう。

旧式のコンピュータなら別だが、今時のコンピュータなら、複数の仕事を、同時平行して行えるのはアタリマエのことだ。

しかし、複数の仕事を同時にこなすとなると、何か厄介なことが始まるのではないか、と心配になるだろう。実際、何件もの仕事をかかえて、アップアップする経験は誰でもお持ちだろうから。

しかし、コンピュータの話となると、アップアップでは、すまされない。

処理中の仕事が突然パッタリ止まってしまったり、時にはコンピュータそのものが、ウンともスンともいわない、フリーズ状態になってしまうのである。

そのような困った現象の一つに、「デッド・ロック」と呼ばれるものがある。

デッドロックは、けっこう簡単に起こる。

私は、前世紀の人間なので、プリンターとカード・リーダがないと、プログラムの説明をした気がしないので、ちょっと話が古臭いかもしれないが、カードからデータを読み込んで、集計処理をして、プリンターに書き出すという仕事が2つあるとしよう。

ひとつは、税金の計算、もうひとつは売り上げの計算だとしよう。そのどちらも、プリンターとカード・リーダの両方がそろわないと仕事ができない。また、コンピュータには、カード・リーダとプリンターが、一台ずつあるとしよう。

ふたつのプログラムを同時にランしたら、こんなことが起こってしまった。

1. 税金のプログラムが印刷のためにプリンターを確保し、データを読むためのカード・リーダを待っている。
2. 売り上げプログラムが、データ入力のためにカード・リーダを確保し、印刷のためにプリンターを待っている。

はい。これでデッド・ロック完成である。

税金プログラムは、プリンターをしっかり握り締め、売り上げプログラムは、カード・リーダーをしっかり握り締め、お互いに相手が、握っている機械を手放すのを待っている。

しかし、両者とも自分が手に入れた機械を手放す気など毛頭ないので、結局、永遠に待つはめになる。

このような現象をより深く考察するために、ダイクストラという学者によって『食事をする哲学者の問題』が提案された。細かい話は、けっこう難しいので、興味ある人は、WIKIなどで調べてもらいたい。

ここでは、少しオモシロ可笑しく日本風にアレンジして、ダイジェストだけお話しよう。

お坊さんが五人、まわるくなって、ちゃぶ台を囲んでいる。ちゃぶ台の真ん中には、うどんをゆでる大なべがある。お坊さんたちの仕事は、瞑想することと、うどんを食べることだけである。

お坊さんの間には、それぞれ一本ずつ、合計五本の箸がおかれている。お坊さんは、腹が減ると、両脇にある、箸を二本とり、大なべから、自分のお椀にうどんをとって食べ、食べ終わると箸をもとに戻し、また瞑想に入る。

いくら腹が減ったからといって、二本の箸を両手で一度に取るような無作法なお坊さんはいない。念仏をとなえながら、瞑想的に、片方の手で箸を一本取り上げ、つぎにもう片方の手でもう一本の箸を取り上げ、会釈の後、うどんを食べるのである。これも修行なのである。

このとき、悲劇が起こった!

五人のお坊さんが、いっせいに、自分の右側にある箸を一本とりあげたのである。左側には空いている箸は一本もない。

お坊さんたちは、皆、空くことのない左側の箸を待ちつつ、空しく、念仏をとなえるだけであった。

深刻な事態を察知した空海は、「箸を手にして、他方の箸を待ってはならぬ。待つなら、ひとたび箸をおいて待て」との戒めをつくった。

しかし、別の悲劇が起こった!

あるお坊さんが、右側の箸を取り上げたところ、左側は塞がっていた。そこで、戒めどおりに箸をもとに戻し、左側の箸を待つことにした。左側の箸が空くと、それを取り上げ、右側の箸をとろうとしたが、今度は右側の箸が塞がっていた。戒めなので、仕方なく、また箸をおいた。

さて、右側の箸が空いたので、それを取り上げたが、またしても、左側が塞がっている。次もまた、左側をとると、右側が塞がり、右側を取ると、左側が塞がりと、遂に、左右の箸がそろうことはなかったそうである。

このお坊さんのその後のことはあまり知られていない。

さてコンピュータの中では、このようなことが時々起きる。当然、そのための対策も講じられている。

興味あるのは、「心は史上最強のコンピュータである」ならば、人間の心や魂においても、似たような困った現象が起こりうるのはないか、ということである。そして、その対策はあまりよく分かっていない。