映画やテレビドラマの成否は、キャスティング(配役)で8割がた決まると言われています。当然、これを誤ると悲惨な結果が待ち受けていると言ってもいいでしょう。
 特に、マンガを含めて原作がある場合は、「う~ん、主人公や主要登場人物が、この配役では違うよなあ----」と思うと、もういけない。観る気がしなくなるのは、誰にも経験があることと思います。

 

 アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』は、ルネ・クレマン監督(『禁じられた遊び』『鉄路の斗い』----第1回カンヌ国際映画祭監督賞受賞作)が、アラン・ドロンが出演した映画『お嬢さん、お手やわらかに!』を観て気に入り、彼に出演依頼したというのが定説になっていますが、実は、当初アラン・ドロンの役は、モーリス・ロネがやったアメリカから来た大富豪の息子、フィリップでした。しかし、アラン・ドロンはシナリオを読んで、
「どうも、この役は自分には合っていない気がする。主人公の貧しく孤独で野心的な青年、トム・リプリーの方が合っているような気がするのだが----」
 と自分のマネージャーに言って、監督、プロデューサーにその旨交渉してもらい、主人公役を勝ち取りました。
 彼のその判断は正しく、この役柄は、彼のその後の俳優人生の方向性を、決定的にしたと言っても過言ではないでしょう。
 もし、当初の配役通りフィリップ役をやっていたら、彼は単なる二枚目俳優で終わっていたかもしれません。

 

 黒澤明監督作品、『七人の侍』も、シナリオの段階では、『六人の侍』でしたが、「う~ん、何かが足りないんだよなあ----」と思った黒澤監督は、もう一人、侍でもない、百姓でもない、トランプのジョーカー的な役割の菊千代という役を設定しました。その役には、文学座の名優宮口精二さんがやった寡黙な侍・久蔵役だった三船敏郎さんをキャスティングしました。確かに、三船さんが腕の立つ寡黙な侍という役では、いかにも、という配役です。
 それを、真逆の饒舌(じょうぜつ)で剽軽(ひょうきん)な菊千代役に変えるのですから、大胆というか、流石としか思えません。並みの監督では思いもつかないでしょう。
 この菊千代役は、『七人の侍』をベースにしたアメリカ映画『荒野の七人』では、スティーブ・マックイーンが演じて、主役のユル・ブリンナーを食ってしまったという、おいしい役でした。

 黒澤明監督が世界のクロサワとなるきっかけとなった『羅生門』のヒロイン真砂役は、当初は原節子さんだったと言いますから、興味深いですね。

 確かに京マチ子さんは、平安時代の京都が舞台の日本映画なのに、エキゾチックな顔立ちで、観ていて何かしっくりこないものがありました。原節子さんも、目鼻立ちがハッキリしていて、あの時代の日本人にしては、ちょっと顔立ちに違和感を感じます。むしろ、純和風顔の高峰秀子さんなどは、演技もうまいし、ピッタリだったような気がします。

 黒澤監督作品で、『影武者』の主役勝新太郎降板劇というのがありましたが、仲代達矢さんでは二枚目過ぎて、野性的な戦国の武将・武田信玄とイメージがかなり違っているような気がします。私見ですが、ヤクザ映画がハマリ役の高倉健さんの方が、荒々しくて戦国の武将というイメージです。
 事実、高倉健さんは黒澤映画に出たくて、黒澤さんにラブコールを送っていたと聞いたことがあります。
 高倉健さんのやりたかった役は『無法松の一生』だったようです。しかし、黒澤明監督と『無法松の一生』では、ちょっと作風が違うような気がしないでもありません。

 

『暴れん坊将軍』という連続テレビ時代劇がありましたが、あの主役は、当初は松方弘樹さんで話が進められていました。しかし、仁科明子さんとの不倫スキャンダルの真っただ中で、松方さんを主演にすると、主婦層の反感を買うだろうと見送りになり、代役におさまったのが松平健さんでした。もし、松方弘樹さんに決まっていれば、のちのマツケンサンバはなかったでしょう。いやいや、松方弘樹のマツヒロサンバになっていたかもしれません。まったく、世の中どう転ぶか分かりません。

 

『トリック』という傑作連続ドラマでは、よくぞ仲間由紀恵さんを配役したものだと感心しました。
 それまでの彼女は美形すぎて、お嬢さん役など端正な役ばかりでした。それが、『トリック』の自称、“超売れっ子、巨乳美人マジシャン”、山田奈緒子役で、コメディエンヌとして大ブレーク。それをきっかけに、連続ドラマ『ごくせん』、NHK紅白歌合戦の紅組司会と繋がるのですから、人間の運命とは分からないものです。

 

 低視聴率女優のレッテルを貼られていた川口春奈さんも、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で、沢尻エリカさんの代役をやって大ブレーク。今では、真逆の高視聴率女優として、ドラマ、CMにと引っ張りダコです。

 

 私が以前書いたドラマでヒロインをやった新人女優が、話題になった民放の連続ドラマのヒロインに決まりかけていたのですが、ヌードになるシーンがあり、事務所としては、清純派で売り出そうとしていたので、その仕事を断りました。しかし、その役をやった無名女優は、その後、そのドラマ出演をきっかけに大ブレークしました。
 そのとき、その役を引き受けなかった女優は、その後、テレビでは見かけなくなりました。プロデューサーに言わせると、
「今まで見た新人女優では、一番よかった」と言っていただけに、残念というか、チャンスは前髪しかないというのは本当なのだなと、つくづく実感します。
 結局、この世の中は、その時々の判断、決断を誤る回数の少ない人が、成功しているような気がします。

 

 

 11月に決まる、次期アメリカ大統領も、副大統領のカマラ・ハリスさんは、あまり目立ちませんでしたが、次期大統領候補になるや、スポットライトが当てられて只今ブレーク中状態です。
 副大統領時代には、移民政策を任されていたにもかかわらず、何も成果を上げなかったという批判がありますが、副大統領はあくまで補佐的な役割で、あまりやり過ぎて目立つと、逆に反感を買うものです。
 何もやらなかったのではなく、何もやらせてもらえなかったというのが本音でしょう。しかし、アメリカの大統領ともなれば、独裁者に匹敵するぐらいの強大な権力を手に入れることができます。そうなれば、今まで副大統領として分をわきまえ、遠慮し温存していた能力が、思う存分発揮できることでしょう。
 世の中、スポットライトが当たると、大化けする人がいますが、ハリスさんは、どうやらそのタイプの人のようで、期待が持てます。
 それに引き替え我が日本は、これはという次期首相候補がいないというのは、なんとも情けないというか、寂しいものがあります。
「日暮れて、道遠し」というところでしょうか----。