♫ 雲は湧き 光あふれて 天高く 純白の球今日ぞ飛ぶ

          若人よ いざ眦(まなじり)は歓呼に応え

          いさぎよし 微笑む希望 あゝ 栄冠は君に輝く          

 

 言わずと知れた全国高等学校野球大会の大会歌です。作曲は古関裕而さんだと知っていましたが、これだけの歌詞を書くとすれば、当然、大御所西條八十さんあたりだと思っていました。が、スマホで検索すると、この大会歌が制定されたのは、戦後の学制改革で、全国中等学校野球優勝大会が全国高校野球選手権大会となった1948年(昭和23)で、一般公募で選ばれた歌詞だと知りました。そして、その作詞者のことを書いた本があると知り、早速読んでみました。

 

2015.7.22第1刷発行

 

 読み終わって、なんともやるせない気持ちになりました。

 この作詞を書いた加賀大介氏は、この歌のタイトルとは程遠い人生を送り、1973年(昭和48)胃癌で58歳の短い生涯を終えています。

「芥川賞か直木賞か、それはわからない。だけど、そんな大きな文学賞を獲って、いつかは東京へ行きたいと思うんだ。そして、本格的に小説家になろうと思っているんだ。そのときは---、そのときは、一緒に来て欲しいんだ」

 これが妻道子へのプロポーズの言葉でしたが、彼はとうとうその夢を果たせないまま、失意の中、地方都市で一生を終えてしまいました。

 その間、彼よりも若い石原慎太郎、五木寛之氏が、あっさりと芥川賞、直木賞を受賞していくのを見て、随分悔しかったに違いありません。

 この人は、これだけの歌詞を書けるのだから、才能はあったでしょうに、無念、残念!! この世に神はいるのか---!? と、思わずにはいられません。

 しかし、この本を読む限り、この人は一生一度の人生で、取り返しのつかない二つの大きなミスを犯しています。これさえなければと、悔やまれます。 

 一つ目は、若い頃、職場の草野球で怪我をしたときに、すぐに治療しなかったことが原因で右足膝下を切断しています。このことが、作家になるために必須な、人生経験、行動半径が狭められてしまった。二つ目は、この曲の歌詞が5252編の中から入選したとき、「文学の道を究めて芥川賞を獲るんだから、新聞社の賞金の高い応募作に、加賀大介の名前は使いたくないんだ。賞金稼ぎだとは思われたくないんだよ」という独りよがりの理由で、応募者の名前を自分ではなく、奥さんの名前にしてしまったことです(注)。

 当然、入選者である奥さんに取材が集中し、一躍時の人になりますが、奥さんにはプロの作詞家になる夢はさらさらなく、この作詞の入選者というだけで終わってしまいました。もし、加賀大介氏が、最初から自分の名前で応募していれば、一気に売れっ子の作詞家になっていたでしょう。そして、本人にとっては、本望ではなかったかもしれませんが、その印税で家族を養い、生活者として、クリエイターとしての自信がつき、スポットライトを浴びることで、大化けしていたかもしれません。

 そして、他の小説家志望者同様、小説家としてデビューする日を、虎視眈々と狙っていればよかったでしょう。事実、作詞家から小説家になった人は大勢います。

 野坂昭如、五木寛之、伊集院静(作詞家名・伊達歩)、阿久悠、なかにし礼---etc。

 素朴な疑問ですが、この曲は、伊藤久男さん歌唱で昭和24年7月1日にレコードが発売され、現在ではCD化もされていて、私はスマホで合唱曲を262円で買いましたが、印税はどうなっているのでしょう? 当然、古関さんはプロの作曲家なので貰っているでしょうが、加賀さんは、公募だから賞金の5万円(今の価値では500万くらい)だけだったのでしょうか? ちなみにYouTube 2009.8.8の関西合唱連盟版は、1357万回も視聴されています。

 

  一般社会で、超エリートと言われているのは、医者、弁護士でしょう。しかし、日本には、全国に医者は30万人、弁護士は4万人います。しかし、小説を書くだけで生活している人は、ほんの一握りで、超狭き門です。その門をクリアするためには、人並みの幸せは捨て、『青年は荒野を目指す、幸せに背を向けて』『死して屍(しかばね)拾う者なし』という決死の覚悟でないと達成できないでしょう。

 小説家は、画家や音楽家と違って、人間や人生を描かなくてはいけないので、“人生の達人”でなくてはいけない。つまり、市井の一人として外の空気を吸い、実社会の理不尽、挫折を味合わなくては大成しない。つまり、受験勉強のように、外で働かないで、机に向かって書くだけの、“書斎の人”になってはいけないということです。『大いなる事業には、大いなる準備を要す』と言われるように、書くのは、最後の作業であって、それまでの準備期間(読書、人生経験)が必要です。

 

 こんな話を聞いたことがあります。

 小説の新人コンクールに応募してくる最近の女性たちは、短大や4年制の大学出身者が多く、高学歴ゆえ、本も沢山読んでいて、教養、知識はそれなりにあり、作品としては、一定のレベルに達しています。それゆえに審査の一次、二次は突破するのですが、最終候補の5~10本の中には、残らないそうです。

 やはり、小説家として成功するには、松本清張、吉川英治、山本周五郎氏のように、実社会で揉まれ、苦労した人が勝ちのようです。ちなみに三者ともに最終学歴は、小学校卒です。

 つまりは実社会で、「もう、勘弁してよ。こんな人生、もう嫌だ!!」というほど、何度も何度も挫折を味わい、ドン底生活を経験し、よく他者を観察し、自分を見詰めれば、孫子の言う所の、『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』 『忍耐する者は、欲しい物を手に入れる』 というところでしょう。

 そういう生活に耐えられる人だけが、栄冠を手に入れることができます──。

 

(注) 奥さんの道子さんは、このことを隠すことに耐えられなくて、20年後の1968年(昭和43)、夏の全国高校野球選手権大会の主催者である、朝日新聞記者の取材に対して事実を話し、今では、作詞・加賀大介と表記されています。