10月28日23時35分~0時47分再放送の、NHKファミリーヒストリー『堤真一 ~寡黙だった父 家族への思い~』、録画していたのをやっと観終わる。

 この番組は、様々な分野で活躍する著名人の、家系にスポットを当てていて興味深い。並みのクリエイターでは、思いつかない企画でしょう。いや、いや、たとえ思いついたとしても、民放では地味な企画なので、企画を出しても、「こんなの誰が観るんだ?」と一笑に付されて、企画会議のテーブルにも載らないでしょう。

 いつも観ていて不思議に思うのは、企画に上がった当事者の家系を調べ上げるのに、本人でもないのに、どうやって戸籍謄本を取り寄せているのでしょう---?

 この番組のスタッフは、番組の当事者も知らないことまで、よくここまで調べ上げるものだと、いつも感心して観ています。

 私自身の事で言えば、父方の祖父が何人きょうだいで、その家族は今どうしているのかさえ知りません。母方の祖母の出身が、神奈川県の横須賀だということと、結婚する前の苗字でさえ、最近親戚から聞いて知ったばかりです。

 

 

 37年前に他界した堤真一さんのお父さんは、サブタイトル通り寡黙で、家でもほとんど会話がなかったらしいです。

 堤さんが、俳優を志して東京に行く前、肺癌で余命3ヶ月と言われていたお父さんの病床に見舞いに行った帰り際に、「真一、元気でな」とお父さんが一言、ポツリと言ったそうです。

 それを背中で聞いた堤さんは、<ああ、この人、死ぬって知ってるんだ>と思って、振り返ることができず、病室を出て号泣したそうです。

 自分が父親に対して、反感だけを抱いていたことが非常に申し訳なく、自分の父親に対する気持ちが間違っていたと、父親が亡くなって初めて気づいたそうです。

 その再現シーンを見たとき、堤さんのお父さんと同じ肺癌だった私の父を病院に見舞いに行ったとき、父親がハンガーにかけられた背広を見ながら、病床わきに座っていた母に対して、「もう、この背広を着て家に帰ることはないだろうな---」と、ポツリと言っていたことを思い出しました。

 そんな堤さんも、かつてお父さんが元気だった頃、

「オレは、あんたみたいなサラリーマンになりたくねえんだ」

 と若気の至りで、捨て台詞を吐いたことがあるらしく、

「サラリーマンの苦しみが分からない人間は、何をやっても一緒や」

 と、家族のために黙々と働いてきた寡黙な父親が、珍しく反論したそうです。

 私も父親に、「オヤジのやってる仕事は、人の尻ぬぐいだ」と言って、えらく怒られたことがあります。

<自分が誇りに思っている仕事に、ケチをつけられたのだから、まあ、怒るだろうなあ--->

 若気の至りとはいえ、世間知らずにもほどがあると、大いに反省しています。

 今にして思えば、私の父親の仕事は、超難関と言われている国家試験をクリアしないとできない仕事だったので、そのことに対する嫉妬心もあったのだろうと思われます。

 しかし、その後私も、倍率335倍の超狭き門をくぐり抜けることができたのだから、

「親を超えるのが子の務め」というところでしょうか。

 私も含め、不思議と皆、母親との確執はないものです。どの学校に行くかで進路決定するとき、生活費を握っているのは父親だから、どうしても対立してしまうのかもしれません。

 堤さんのお父さんの最終学歴は、兵庫県立武庫高等学校定時制となっていますが、実は先生から、東京大学に進学できると言われるぐらいの学力で、本人も外交官になりたいと思っていたそうです。しかし、戦争がその夢を砕いてしまいました。

 堤さんは、そのことをこの番組で初めて知ったらしく、

「無口だから、何かずっと愛されてないって思ってたので、オレのこと嫌いなんだろうなって、生意気だったし---。それが---ホント、バカですね。この番組に感謝です---!!」

 とスタジオで、俯いて涙をぬぐう姿が印象的でした。

 

 余談ではありますが、堤さんのお姉さんは、かつて掛布、岡田、バースがいた阪神タイガースが優勝したときの、阪神甲子園球場のウグイス嬢だったそうです。そのことも、この番組では紹介していて、現在は結婚して、アメリカのカリフォルニア州サニーベールに住んでいるそうです。番組では、その自宅まで取材に行っていました。さすが手を抜かない、あまねく皆様のNHKだと、一視聴者として感心しました。

 

「NHKをぶっこわ~す---!!」と言っているオッサンの、真意がいまいちよく理解できない---。