無意識の経路開発について長々と解説している中で、再認識した箇所があったので、今日はそこを掘り下げます。

無意識空間に形成された経路そのものが情報空間の高みへと続く階段であり、その経路が作られることを覚醒と言います。

もちろん、抽象度の高みへと続く階段や、胆力空間の最奥部まで続く階段など、ルートとしての階段は複数存在し、情報空間の理を深く理解すればするほどに、階段の登り方やその実態が見えてくるようになります。


こうした階段を登る、あるいは深部に降りていくにあたっては、新しく新鮮な知識や多種多様な経験(体験)が必要です。

苫米地博士の場で言えば、ワークスDVDやセミナーなどで伝授される知識は基本全て、「情報空間の道標」というロードマップ的側面があり、そうした知識を意識的にも無意識的にも獲得することで、上下左右、あらゆる方向にポテンシャルを発揮することができるようになるというわけですね。


情報空間を移動するためにも、そして視野を広げるためにも知識は必要不可欠と、この場にいる方なら誰でも理解していることと想像します。

しかし個人的には、知識と同等か、それ以上に重要なものが一つあると、常々感じてきました(今では確信しています)

なぜそう感じてきたのかというと、「知識だけでは到達できない境地が確実にある」ということが、わりと真剣に分かっているからです。


最近では、某所にてハイレベルな学びの場に参加した際に、知識はやたら豊富にある一方で、情報空間の理解度や、“実践知”的な面で課題がありそうな人が少なくない印象を受け、そのワケを暫く考えさせられました。

「なぜだろうか?」と。

そうして考えてきて、この前漸く「お!」と閃いたので、その答えをここに記します。


実は、知識だけあっても意味がないということは、知識の有無以前に既に課題が存在しているということを示唆しています。

知識を獲得する前には、その前提となる“”スタンス“”というものが問われるということです。

言い換えると、“”どういう意識状態“”で、知識を獲得し、経験を自身の内に意味あるものとして吸収していくのか、

ここが理解できていると、無意識の深いところまで情報が刻まれていき、結果としてより抽象度の高い空間へ、より深い変性意識の空間へアクセスできるようになります。

閉ざされた空間が、開かれやすくなるということです。


それでは一体、どういう意識状態を”意識“すればいいのか。

それは実は、空観です。

空観を徹底的に突き詰め、空観のままに知識を得、経験を咀嚼吸収していくことが鍵となります。


難しいことを全部端折って一言で表現するならば、空観とは、この世を幻として認識し、全ての現象を有と無よりも抽象度の高い次元で処理していくスタンスのことです。

この世は幻

という強烈すぎる主張を当たり前のものとして受容し、その上で縁起を積極的に実践していく姿勢が空観が意味するところとなります。


自分含め全ての他者、知識と情報、世界の全てが幻想であると知ることが、情報空間の深部に向かう者の背中を押してくれます。

その理由は少し逆説的ですが、

“”全てが幻だから“” です。


中には、全てが幻であるならば、何も学ぶ必要などないし、どんな経験を経ようが無駄じゃないか、と考える人もいるかもしれません。

空観をネガティブに捉えるとそんな帰結が待っています。

が、僕は圧倒的に逆です。


全てが幻であるならば、知識も経験も無限に拡げられ、際限も壁もなく、果てしなく情報空間は拡がります。

全てが幻だからこそ、どこまでも、極限を超えて突き詰めることができるというわけです。

空観を極めるとは、こういうことですね。


すなわち空観を真に知った人は、色々とリミッターが外れるということです。

メーター振り切って、ぐるぐる針が回ってしまうように、抽象度も胆力も、そして変性意識も止まることなく、どこまでも深められるようになります。


これは僕自身が身をもって体験していることなので、確信をもって言い切ることができます。


僕はおそらく先天的に「空観」に親和性の高い生命存在なのだと思われます。

宇宙人っぽいと言われるのも、それが理由です。(たぶん)

例えば、誰かから別段説明されることもなく、なぜか「空観」が何を表しているのか、その真意を理解することができましたし、空観的視点で情報を認識し、操作する術も、伝授されてすぐ応用を利かせることができました。

「この世は幻」という命題を初めて聞いた時も、ス〜っと抵抗なく身体に浸透してきたと、今でもよく覚えています。

空観的宇宙観がインストールされた瞬間です。


そして今となっては、常人よりも空観の理解度が高かったからこそ、短期間で大量の情報を吸収し、情報空間の高みへと登ってこれたのだろうなと、しみじみと感じます。


このような経験をしてきたお陰で、以下の発見を得ました。

“”人生のどこかのタイミングで、空観の世界観がインストールされると、学びは急速に加速する“”

という発見です。

これが最近気付いた、空観インストールの重要性ということになります。


しかしまぁ、冷静に考えてみると、学び、というか我々の「生」における全ての前提は、空観です。

この世が幻である以上、
これは否定できないファクトとなるでしょう。

つまり空観は、全ての始まりと言うこともできるのです。


したがって我々が学んできた、あるいは、学ぶであろう時間も空間も、光も闇も、ポジティブもネガティブも、生命素粒子も可能世界も、

ただ知識として知ることに、大した意味はありません。(ビギナーにはありますが)


それよりも空観を全身に浸透させ、その意識状態をもとに縁起を実践していくことが、重要。

なぜならここに来て初めて、全ての知識と経験は、活きてくるからです。


ということで空観を少し意識して、色々試してみて下さい。

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