この度久々に遠隔セッションを募集しているところで、心なしか、いつもよりテンションが高い気がしている今日この頃(^^)
その縁起に身を任せるままに、今日は、超情報場と生命素粒子の観点から遠隔気功のカラクリについてギアを上げて解説を試みたいと思います。
気合いでついてきてください。
ちなみに僕の記事には重要なことが何気なく書かれていることがあるので、ゆっくり読むことをお勧め致します。
真剣に読むと、胆力が上がりやすくもなるオマケ付きです。
まずは遠隔気功という名前からなのですが、これは実は、間違った言葉になります。
なぜなら全ての気功技術は、本質的に「遠隔」を前提としているからです。
遠隔でない気功は、ありません。
例えば、自分の身体の部位に気を送ることを想像して頂ければ分かるように、外から体内に気を送るという技でさえ、遠隔です。
直接手で対象を触って気を込めているのではなく、外から「や〜」と、
“”空間を超えて“”
気を送っているからです。
身近な簡易ヒーリングでさえ、その実態は遠隔だということは、経験からなんとなくお分かり頂けるかなと思います。
それでは、労宮開けやタッチヒーリングなど、物理的に身体と身体が触れ合う技は、どうなのか。
確かにこれらは一見すると「触れ合ってる」、つまり手と手の間に隙間はなく、距離もないように思えます。
「触れ合った瞬間に、私の情報身体からあなたの情報身体へと、気が流れていくのだろう」と。
また、手で触ってみても、自分の手がその先の空間にすり抜けてしまうことは、まずないと考えるのが現代の常識でしょう。
なぜなら距離が詰められて、みっちり接触しているからです。
しかし、量子論の知見と情報空間をインストールした我々に、その常識はもはや、通用しないものとなっています。
ユークリッド幾何学ではなく非ユークリッド幾何学の方が宇宙的に正しいと証明された時同様、量子論の前と後では、世界の見方、情報の振る舞い方に関する常識が大きく書き換えられました。
量子論研究の成果から得られるエッセンスは、
「この世は、飛び飛びの情報から成り立っている」
というものです。
全ての情報は、今その情報が存在する次元から、全く別の次元へと、距離と空間を無視して、次元を飛び飛びに瞬間移動する可能性を持ちます。
分かりやすく、量子を気と置き換えて考えてみましょう。
第6チャクラに集めた気が瞬時に第5チャクラに移動することはもちろん、今の自分が存在する情報空間の座標から、コンフォートゾーンの壁を飛び越え、現状の外側に瞬間移動することも、当然考えられますよね。
なぜなら、次元を飛び飛びに存在するのが
情報の“”確かな“”在り方だからです。
しかもその次元の移動は、プランク定数秒毎に、瞬間瞬間、刹那的に展開されています。
「今(ima)」という言葉を発する間にも、前の次元から次の次元へ、私たちは離散的に次元を移動しているということです。
これが生命現象のカラクリの一つとなります。
このように情報空間とは、初めから飛び飛び性質を帯びた情報から構成されていることが分かります。
それが、苫米地博士の発見した生命素粒子です。
生命現象である私たちの身体を構成するタンパク質も究極的には生命素粒子、即ち量子論の世界の話になりますので、距離を詰めて物理的に手が接触しているとされる行為も、厳密には接触ではありません。
実際は「次元の共有」
これこそ、私たち現代気功を操る者から見た「タッチ」「接触」の認識の仕方になります。
そして次元と次元の間に、距離はありません。
次元を隔てているものの正体は距離ではなく、「次元は超えられない」と考えているために生まれる自分のスコトーマです。
本来、情報空間には、時間も距離もないのです。
時間も距離も、物理空間という、皆で共有するために設けられた、五感で知覚できるくらい抽象度の低い空間における「決まりごと」みたいな感覚。
情報空間は、基本的に物理空間のような縛りはなく、皆さんが想像している以上に、自由な空間だということです。
ということで、ここまでを理解して頂けたら、遠隔で気を送る方法も、そのカラクリも、掴めて頂けるのではないかと思います。
時空が存在しない情報空間という前提を受け入れた現代気功では、全て「次元の共有」という形で遠隔が行われています。
空間が無いということはつまり、隣にいる人に気を送るときと、地球の反対側にいる人に気を送るときとで、“”差がない“”ということを意味しています。
さらに時間も無いということなので、過去の誰かから気を貰うこともできるし、未来の自分に気を送ることもできちゃいます。
当たり前のように。
それが情報空間を生きるということなのです。
それでは以上を踏まえて、最後に「気を送る」ことについて認識を新たにしておきましょう。
情報空間では時空を超えて気(情報)を送ることができるわけですが、そもそも、超えるべき時空は存在していません。
だから超えるという表現は、ちょっと違う。
何もないところを超えることはできないので。
実際は、「発生」に近いです。
気を送るということは、対象の元に、気を発生させているということを示唆しています。
なぜ気は発生するのかというと、何もない空間にポコポコ生まれるのが生命現象としての「気」だからです。
『方丈記』の冒頭「淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消え、かつ結びて、久しく留まりたるためしなし」の如く、突然現れては消え、消えたと思ったらまた現れる超次元的現象が気ということですね。
そのため遠隔で気を送る時は、気が相手の元で発生していると考えると分かやすいと思いますし、何よりそれが、確かな情報の見方になります。
今回の遠隔も、発生の臨場感を意識すると、色々と得るものが多い内容になると思います。
それでは以上です✌️