今日はちょっと抽象度を下げた話を一つ。


それでも重要記事かもです。



僕は前々から「これはもしや…」と感じていたことがあります。


それは、干支と性格のマッチングについてです。



“”干支に設定されている動物の特徴や特性といったものは、その世代の雰囲気に影響を与えているのではないか?“”


という、おそらく違うであろう直感です笑



まぁこれは僕が自分で感じたというよりも、周りから指摘されたことが積もりに積もって、


「真なのかも?」


と思わされてしまった側面が大きいですが。



例えば僕は丑年🐮という理由で、


「なんか牛っぽい」


「とろい」


「鈍い」(ひどいw)


とか言われたことがあり、


最初は「そんなことないでしょ」と思っていたのですが、何回も言われていると、


「もしかして...」


と脳裏に浮かぶようになりました。



そしてその「干支フィルター」で周りを見渡してみると、これまた似通っている部分が、なくはないのです。


戌年🐶の人は、


「やっぱり犬っぽいな、猫ではなく」とか、


辰年🐲の人は、


「荒々しい、竜感があるような」



そうこうしている内に、「干支の動物とその人の性格はなにかしらの繋がりがある!」と、


人の特性と干支を、意味もなく繋げてしまう癖がついてしまいました。



しかし皆さんお察しの通り、


これは悪い癖です。


勝手なバイアスをかけて、特定の方向から情報を見てしまうのは、よくありませんね。


なぜなら情報を「ありのまま」に見ることが出来なくなるからです。



情報をありのままに見ることが、認知科学ベースの気功の基本です。


ところが人は、干支と性格がマッチしているという信念があると、「干支フィルター」を通して情報を認識しようとしてしまいます。


だから僕が丑年🐮だとすると、


僕を構成する全情報の中から、牛的な情報だけがピックアップされ、「あなたは牛っぽいよね」と判断されることになります。



ただ、冷静に考えてみると、


そんなことは「ない」です。


私たちには牛的、兎的、竜的、


あらゆる干支的情報が、ふんだんに盛り込まれています。



普段はおっとり、牛っぽい人であっても、


時と場所が変われば、虎っぽくなるかもしれません。


自分の中には、全干支的情報が、潜在的に眠っているものです。



そのため私たちはアプリオリ(絶対的に)に、


「自分/あなたはこういう人間だ!」


と断定しない方がよきでしょう。


人は関係性の中で、その都度、マインドから表出させる情報を変えているのですから。



そしてここで言う関係性とは、縁起のこと。


縁起の中で、うねるように、性格はコロコロ変わります。


すなわち私たちは本質的に、縁起的生命情報だということです。



はい、抽象度上げられましたね笑

(任務完了)



ちなみにこれは、躾や教育の場面でも、役にたつ視点かなと思います。


先生が生徒に対し、あるいは、親が子に対し、


「あなたは〇〇な人です!」


と断定してしまうと、言われた方は、それが真実だと自己洗脳してしまいます。



やがてその情報がその子のブリーフシステム(信念)となり、コンフォートゾーン(現状)となります。


「ダメな子ね!」と何度も何度も言われた暁には、


一生ダメな子として生きていくことになるでしょう。


なぜなら「ダメな子」がその子のコンフォートゾーンとなるからです。



これは、僕としては悲劇かなと思います。


他人からの評価が、自分の価値となる一生は不幸です。


自分の価値は自分で決める


これが僕の信念です。



皆さんも、他人から言われたことで自分が縛られているなと感じたら、すぐにその情報を外すとよいでしょう。


もちろん他人に対する評価も、一元的に決めつけないよう、注意していきましょう。


次元としては抽象度が低いからこそ、意識的に意識することが肝心です。



それでは以上です。


思ったよりも読み応えのある記事に収斂しました。


( ^ω^ )