抽象度を上げる方法はいくつかあります。


方向性としては、


1. 誰かに引き上げてもらう。


2. 自分で上げる。


の二つです。



身近なのはやはり前者でして、


自分よりも抽象度が高い人から、


直接的にせよ、間接的にせよ、


身体情報を書き換えられることで、抽象度は上がります。



読書はその手段の一つです。


本にある情報、すなわち著者の視点に触発されて全身が書き換わり、


思考の抽象度が上がるのです。



著者の視点をインストールすることが、そのまま抽象度アップに繋がります。



もちろんDVD視聴も同様。


苫米地博士のワークスDVDを見て眠くなるのは、博士と場を共有して、変性意識が深まるからですね。


個人的には、世界最強のコグニティブ・ドーピングDVDだと思って見てます、毎回。



このように、抽象度は引き上げてもらうことが基本とよく言われています。


それが「学び」というものの本性ですし。


ただし、自分で自分の抽象度を上げることも可能です。



今日僕が伝えたいのは、こちら。


自分から積極的に、抽象度を上げてみましょう、


という提案です。



僕はブログ記事でもセッションでも、


誰かの抽象度を上げることに関しては、


抜群に得意です。


なぜなら自分で自分の抽象度を上げる術を心得ているからです。



ですが、皆さん。


抽象度は己の力量で、己のタイミングで上げられた方が、いいですよね?



なにより楽です笑


僕がいなくても、自分でサッと抽象度を上げられれば、楽だと思います。



それでは自分で自分の抽象度を上げる方法とは。


瞑想?


散歩?


筋トレ?


実はこれら全て、真剣にやれば効果アリです。



無論瞑想は、頭を空っぽにしてボーッとすることではありません。


その真逆。


本気の瞑想は、観音菩薩が現れるくらい、


強烈なまでに、思考に思考を重ねるものです。



成瀬先生の定義によると、


瞑想=自分を知ること、すなわち“人生”です。


自分の意識空間を内省的に知ろうとすることが瞑想であり、その過程で抽象度は上がります。



そして下に書いた散歩も筋トレも、瞑想の範疇に入ります。


ちゃんとやれば瞑想になり、抽象度アップに効果がありますね。



でも今日僕が伝えたいことは、瞑想や運動など、特別なことをしない抽象度アップのやり方です。


それは一言で、


「ディグること」


思考して掘り下げ、深めることです。



ディグる対象は、抽象度が高い思考をしてきた先人の言葉や格言、名文句などなど。


例えば苫米地博士は、基本として、


「この世は情報で成り立っている」と仰います。



すると慣れ親しんだ私たちは、


「ああ、いつものやつね。情報空間。」と、


ある種反射的に受け流してしまいがちですが、


それは実は、よくない反応です。



聞き慣れたことや、それっぽい格言を耳にして、


「ふ〜ん」と受け流してしまっては、


スコトーマを解消することはできません。



誤解を恐れずに言うと、


「それって結局、自分の頭で考えていないよね」


ということになります。



なので、読書でもDVDの視聴でも、先人により思考の抽象度を引き上げてもらうことにはなるのですが、


自分の力で抽象度レイヤーを登ろうとする気は、正直あまり感じることができません。



そうするとどうなるかというと、


結局、先人に頼りっきりということになっちゃいます。


たくさん抽象思考しているのは先人だけで、


自分は思考停止、なんていう状況に陥ることも全然あり得ます。



実際、こういう人は少なくない。


自分では立派に思考しているつもりでも、実態は、先人の思考の軌跡を辿っているだけという人は多いです。


それを否定することはしませんが、


推奨もしません。



僕は、先人に抽象度を上げて頂きながら、


さらに先人を超える思考を展開していきたいと考えています。



まぁ、「たぶん超えられない」


と薄っすら思ってはいますが笑


それでも自分で考え、自分で抽象度を上げる訓練をしていくことは大切です。


それが先人に対する礼儀かなとも思いますし。



さて、セルフで抽象度を上げるためには、


先人の言葉を、自分の力でディグることが意外な近道になります。



「この世は情報なんですよ」


という短い一文には、びっくりするくらいの情報量と知識量、それに伴うインパクトが秘められています。


それを自分なりに解き明かそうとしてみてください。



「この世が情報、それでは、あの世は?」


「物理空間がこの世だとしたら、この世はあの世の一部になる?」


「そもそも、あの世にすべてがあり、この世はあの世の写像か、ほんの一部なだけなのかもしれない」


「実はこの世はなくて、あの世しかないのでは?」


等々。



合っているか、間違っているかは、問わなくて大丈夫です。


理論的整合性が確保されているのであれば、思考は無限に広げられるからです。



さらに付け加えますと、前回記事のタイトルにも、相当な情報量が込められています。


「人は誰でも語らずに語っている」


「それを読み取るためには、まずは自分の無意識の語りに注目してみよう」


「無意識で語るのと、意識して語るのとは、どんな違いがあるだろう?」


「なぜ人は語らずに語れるのか」


「語ると語らない、両者に差はあるのだろうか?」


など、いくらでもディグれます。



先人の言葉は、積極的にディグっていってください。


そうすれば、着実に情報量を増やすことができ、その結果として、抽象度は上がります。


大量の情報と知識がバネとなり、


思考を通じて抽象度は上がるんです。



それでは以上です。


気になったことは、ディグる習慣をつけましょう。