今日は、最近思っていたことを一つ💭
仕事柄、いろんな職業の方とお会いすることが多い身として、ここ数年思ってきたことがあります。
それは、人がもつ資格や肩書きそれ自体には、大した価値はないということです。
私たちが想像している以上の価値は、意外とないものです(^^;
もちろん僕は、資格や肩書きが無意味だと言いたいわけではありません。
それらは努力、あるいは苦学の結果であり、一定の知識や経験を積んできた証でもあるため、それを安直に否定することは、正しいことではないと思われます。
ただ、資格が示しているのは「過去に何をしてきたか」という事実だけであって、「今この瞬間に何ができるか」や「どんな姿勢で人と向き合っているか」「信頼に足る人なのか」までを保証してくれるわけではありません。
つまり資格の存在がそのまま、当人の価値や評価を決めることはないということです。
実際、同じ資格を持ち、同じ肩書きを名乗っていても、話してみると受ける印象は大きく異なります。
機微を読み解こうとする意識、言葉の選び方、相手の話を聴く姿勢、問題に直面したときの態度、
などなど、
細部の積み重ねによって、その資格や肩書きが生きたものになるのか、単なるラベルで終わるのかが決まっていくように感じます。
傾向として私たちはつい、肩書きの立派さに安心したり、それがもたらす権威に価値判断を預けてしまいがちです。
たしかに現実として、人の社会的地位というものは、「肩書き」という空なるものにより確立されていることは否めません。
本質は空ですが、過度に価値を期待すると虚になり、抽象度が低いとそこが見抜けずに実観に囚われてしまうという人も少なくないでしょう。
しかしながら、肩書きがもたらす安心感は意外と脆く、少し言葉を交わせば簡単に崩れてしまうこともよくあります。
皆さんもご経験あるように、少し話しただけで世界認識の規模感や、洞察力の有無、思考の抽象度などは、簡単に見抜かれてしまうものですよね。
ちなみに僕の経験で言えば、肩書きを超える「個」を持った人は、そうそういるものではありません。
大抵の人は肩書きという狭すぎる空間と過去の栄光に閉じ込められ、よくわからないまま生きています。
とはいえ、これとは逆に特別な肩書きがなくても、誠実さや抽象空間への深い理解、覚悟のある行動によって、強い信頼を感じさせる人がいるのもまた事実です。
とくに自己犠牲の精神などは普遍的に人の心に響く情報を伝達してくれますね。
そういう現実をみるにつけ、資格・肩書きの有無はもはや、大した違いを生むことはないのではないかと僕は日々感じています。
また、肩書き以外にも、特別な機会にて儀式的伝授を受けたり、完全密教知識を得たりしたときも、同じです。
もちろん伝授には意味があり、それこそ特別な情報場にアクセスできるという意味で、大変貴重な機会であることは間違いないと思います。
しかし、「伝授を受けた」というファクトそのものに価値があるとは限りません。
というか基本的に、「ない」です。
儀式的伝授を経て密教的な知識を「持っている」状態は、当人に安心感や優越感を生みます。
これは経験的にすごーーーくわかります、
が、知識を自己の所有物として固定化させている状況は、すでに縁起から離れ始めているとも言えます。
というのも本来の縁起の視点に立てば、「私が知っている」という構図そのものが、仮のものにすぎないからです。
実際は縁起から離れることで生まれるものはたぶんなく、どちらかと言えば消滅してしまうもののほうが多いのだろうと思います。
以上を踏まえ結局、ここで僕が言いたいことは、資格や肩書き、そして儀式としての伝授含め、これらは人を評価するための答えではなく、問いの入り口にすぎないということです。
その人がどんな思いで資格を使い、どんな責任を引き受け、どのように他者や社会と関わっているのかという状況、
運用されるその状況の中にこそ、真の価値は現れてきます。
資格肩書きはそれ単体で輝くものではなく、それを背負って立つ自分自身の在り方によって初めて意味をもち、価値は生成されていくのでしょう。
つまり本質的により大事なのは、他存在から付与された既存の価値の内側に安住することではなく、自ら縁起を実践していく姿勢の方にあるということですね。
自分を取り巻く縁起の糸に価値を付与するか、はたまた腐らせ断ち切るかは、いつの時代も自分次第なのです。
ということで、以上です。
最後になりますが、僕は、目の前に厳然としてある存在そのものが「価値」に直結するというよりかは、存在を生み出す関係性、つまり縁起という空間のダイナミズムが価値の源泉となっていると感じています。
確信に近いレベルの手応えとして、感じてます。
もちろん抽象度の高い空間で価値を生み出す側に立つか、結果として生み出された価値に感動する側に立つか、どちらを選ぶかは人それぞれあっていいと思います。
ただ一つ言えるのは、抽象度高く縁起を実践していこうと意識する人は、肩書きや伝授に囚われることはないということです。
むしろこれらを、超越します。
その先の先の空間において生み出す価値に、人は惹かれていくのだと思います。
そんな超越意識を、今年は優しく覚醒させていきましょう🧑🚀
*資格・肩書きをお持ちの方は、その枠組みを超越する「なにか」を持てるよう、日々試行錯誤してみて下さい。
*年始から忙しく、頂いたメールへのご返信は週明けから順次させて頂けるかなと思います🙇♀️
*投稿されるブログ記事は基本予約投稿されるものなので、そこはご了承頂ければ幸いです。