前のブログを読み返すのが嫌いなので、いまいち話がうまく繋がってなかったらごめんなさいですよ。

えっと、ちょっと悩んでたことは、無事解決しました。
大丈夫だとは思ってたけど、どうなるかわからない間は、やっぱりモヤモヤします。

例えば、家のどこかにはあるんだけど、探し物が見つからない時とか…すぐ要るわけじゃなくても、心に引っ掛かりが生まれますよね。
そんなのに近かったかも。

今回のことで、『人を大事にすること』について、考えました。
誰かに勘違いされたとするじゃないですか。心屋だと『相手が拗ねてた』ってとらえたりもします。
けど…拗ねちゃうこと、私もあるもんなぁ…。

私が今学んでる世界では、拗ねてると言うか、被害妄想状態になったら、『お客さんが来た』って表現するんです。被害妄想的な思考を、『お客さん』ととらえるの。
ちなみに、幻聴が聞こえたら『幻聴さんが来た』ですよ。自分の中で起こることを、少し自分と分けてみる感じかな?

で、そういうマイナス思考が相手に起こって、誤解された時、どうしたいか考えたんです。そしたらね、誤解されないような、相手とのつきあい方をしたいなぁって思いました。

相手が気にする性格なら、気にしなくてすむような言い方をできたらいいな。
心屋だとね、『相手が拗ねてる時は、相手の問題。ほっとけ』みたいに考える時もある気がするけど…私はね、自分が出来る工夫はしたいなぁ。
それって、痛がりの人の手を強く握らず、そっと握る、みたいなことかな、と思います。

私、心屋の『言ってみるカウンセリング』が、自分自身はどーもうまくできなくて、その理由の一つに『意味があったとしても、あんまり辛いことはさせたくないなぁ…』って思いがあるんだろうなぁと思います。

以前ブログで触れた、精神科医の神田橋先生の『気持ち良いかどうかで判断する』が好きなのも、同じ感覚から来てると思うんです。つまり、『気持ち悪いこと、嫌なことはしたくない』。

けどね、自分が『言ってみるカウンセリング』を受けるのは好きよ!
それは、相手を信頼してるからだろうなぁ…。何か言いにくい言葉を言わされたとしても、その事を言うことに意味があると思って、挑戦する気持ちで言葉を言ってると思います。

仁さんは、相手の人が楽に生きられるのを心から願って活動してると思うので。
無茶は言うけど、すごく優しい人だよなぁ…って思うの。

で、私は、相手の人の人生を変えるような『楽になり方』を伝えるより、『その時の居心地の良さ』を守りたいタイプなのかも。
で、その『居心地の良い感じ』をずっと続けることで、結果的に楽に生きられるようになっていって欲しいって願っている気がします。

…うまく表現できてるかわからないけど…。

ちなみに、相手の状態の分類分けの細かさの参考にさせてもらってるのが、小野美世さんですね。
私、セクシャリティにそんな興味もないのに、美世さんの心への寄り添い方を知りたくて、ついブログ見ちゃってます。

あ!神田橋先生の患者さんの心への寄り添い方も、とってもソフト。この本を読むと、とっても繊細に患者さんを観察してるのがわかります↓


今日のブログは、『ソフトに人と付き合いたい』って話でした…。