作者はこれを書いた当時17歳、ということにまずびっくりする作品。こんなすごいのが高校生に書けるなんて尊敬するわ。
このような作風は「耽美」というらしい。
耽美主義とは…「美を最高の価値と考えその創造を人生の唯一の目的とする態度」


美術部の男子高校生・速水が、思わずその美しさに惹かれてしまった北条という男子生徒。
北条への恋(というといっぺんに俗人っぽくなってしまうのだが、まあいい)、平静を装い隠した心とうらはらのその動揺を、繊細に、かつできるだけ真実に近く書き表そうとする試みなんだろう。
言葉遣いが昭和の文豪みたいに格調高く、そして難解だ。

例えば北条についての描写
「彼はあらゆる美醜の狭間にいた。海と陸とが絶えず侵し合う汀であり、悪が善と融け合い飽和した溶液であり、死と生が不倫し合って受胎した子供であった。」
うわぁなんて表現だスゴイ。それにしても、最近こういう文章を見てなかった気がするなと思った。

速水は北条が無関心ゆえに何者でもないことが美しいと言っている。
速水たち登場人物の、美へのこだわりが並大抵ではない。
美というものをどう捉えるか、自分にとって美とは何なのかを言葉を尽くして考えている速水の、その内観だけで物語のほとんどができている。そして、それは自分と他人との境界線をいつも探っているかのようだと思う。

そもそも芸術家と芸術との違いを話して分かり合える高校生男子たちがすごい。私は彼らの言ってることがわからなくて読み返すことが多かった…。
こんな高校生たちに、「エースをねらえ」のお蝶夫人が女子高生だったと気づいた時の衝撃を思い出した。


ストーリーはきっと単純だ。
速水は北条の顔を見て美しいと感じ、気づかないままに恋をする。北条をモデルに絵を描く行為に逃げて、本心に気づかないようにしているうちに、北条は同じ美術部の女子と付き合ってしまう。
速水は失恋の痛みに苦しみ、心がほとんど麻痺しそうになるまで追い詰められる。
そして速水がこの感情と向き合った結果、起こした行動は…


「幻滅を以て初めて速水は恋を自覚した。それは心象として描いた幻想の存在を片時も忘却してはいなかったのに、それを幻想とはゆめ考えない白々しさが、幻滅という名の全ての白々しさをその食べ滓だけを残して朝焼けに晒しては見世物とする身勝手な魔物によって滅却されたからである。」
ストーリーのシンプルさに比べ文はやっぱり難解…凝視

最後の展開がまた予想外ですごすぎるのであった。
この判断、速水は本当に高校生か!とまたしても思ってしまうほど。大人びた高校生がそこにいた。
一方で、現実は理想と違うものらしいと悟った時の落胆、幻滅など、全てはあくまでも自分の内面を中心に描かれる世界で、彼の幼さも垣間見れるようだ。

俗っぽい言葉で言えば、速水が大人になったら「黒歴史」と呼びたくなるような、行き過ぎた純粋と、痛いほどの虚勢と、結界みたいに誰も入れない透明な檻。そう呼べる気もする。


蛇足だけど…
この本、しおり紐が赤だったのだが、何故この色なのかなと思っていた。
他の本では、雰囲気に応じたパステルカラーなどの紐を使ったり、中表紙に凝ったりなどして、本全体で作品の雰囲気を作ろうとするものなんだなと思っていたから、しょうもないことだけど、これだけ美にこだわる主人公の話であるのに最もよくありそうな赤の紐を選んだのは何故だ、と不思議に思ったのである。

赤が悪いってことではないんだけど、最も一般的な色の1つで、そういうありきたりなものを自分以外の人が選んで自分の本に付けたとしても別に構わない、紐の色などに拘ってないというような、物語の中にも出てきた無関心の体現なんだろうか。
それとも、速水が北条の美の根源だとしてずっと焦がれていた無関心が醸し出す美を、実体化したのが赤なんだろうかと思ったりもした。

このことに繋がるヒントが物語を読んだら何か書いてあるのかなと思ったが、書いてなかったと思う。
いやもしかして、速水が想像した、海に溶け合う血の色なんだろうか。
あるいは、表紙の青年が赤い花束を持っているので、その色に合わせたんだろうか。
しおり紐だけでいろいろと考えてしまったんだけど、これだという答えは見つかっていない。