アニメがあったのは知ってるけど見たことがなく、本も実は初めて読むこの作品。それは、後に語り継がれる大賢人となった魔法使い・ゲドの若き日の物語だった。

わあ〜好きだ〜こういうの‼︎
シンプルな文章は読みやすいし、引き込まれるストーリー展開は純粋に面白く、手が止まらない。


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山間の田舎で生まれた12歳の少年は、まじない師の伯母に素質を見込まれて、ちょっとした魔法の技術を伝授され、ハイタカと呼ばれていた。
ある時、その小さな島を征服しようと帝国が襲ってきたが、ハイタカは渾身の魔法で帝国を撃退することに成功し、その噂を聞きつけてやってきた偉大な魔法使い・オジオンの弟子となり、ゲドという真の名前をもらう。
ゲドの持つ魔法の力はとても強く、もっと高度な魔法を身につけるためにローク島の学院へ行くことになるが…
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ゲドが学院に入ったのが13歳、ということは帝国を撃退したのが12歳。よく思うけど、こういう物語ではとても若い年齢ですごく大きなことを自分で責任を持ったり、決めたりするんだよね。

「この子は大物になる」と言われた彼は学院でも早々に頭角を表すが、高慢で過信しすぎな一面があって、17歳のときライバルに唆されて禁断の呪文を使い、死霊の世界から実体のない謎の黒い影を呼び出してしまう。
18歳で魔法使いとして独り立ちして以降、ゲドは影に追いかけられ、安住もできず放浪し、心休まることのない日々を送ることに。
ゲドの傲慢は鳴りをひそめ、自分の無能を理解し、無口で謙虚になり、孤独の中で自分を深く掘り下げていくのである。

私はそこがすごく良かった。(ゲドは悩み苦しんでいるんだけども)
まるで思春期の精神的拠り所を探す旅のような。
重苦しいのに、なぜか眩しいものを見るような感じもしたし、不安なのにどこか落ち着いていて矛盾する魅力があった。

ゲドは影と2度対峙したが、どちらも負けて、運良く命を救ってもらうような状況だった。
それほど強い影に打ち勝つには、影の「真の名前」を知らなければならないが、古い文献を開いても、学院の大魔法使いたちに聞いてもわからない。
影との次の邂逅の時が迫っているのをひしひしと感じる中で、影に追われていたゲドはいつしか追う側となっていき、遂に影を捉えたとき…

最後まで名前がわからない謎の影を、どうやって捉えるか。負ければ影に取り込まれてしまうだろう。
どうするんだろう、私には全く考えもつかないまま、時間切れで影と対峙してしまったゲドに勝ち目はあるのかと思っていたが、彼は落ち着いていたから、その時にはもうわかっていたんだなあ。
影の名前が。

怖いものが何かわかると怖くなくなる、ということを思い起こさせる。漠然と感覚の世界で恐れているだけではいけない、まず相手が何者か知らなければ。
受動的でなく能動的な意識の持ち方は、若い人だけでなく、今この時の私にとっても大切なことだ。

ゲドの行った収束は見事だった。そしてそれって、人の精神世界の成長の中で辿ることを必要とされている過程なのだろうとも思った。
ゲドは大きすぎる力を持ってしまった普通の子なんじゃないかな。だからゲドは私たちである。
そう思って読める本だと思う。

ゲドのほかのキャラクターもいい。
真心の友情を捧げ続けてくれた友人のエスタリオル、ゲドの才能を見出し、真の名をつけてくれたオジオン師匠、いつも肩に乗っていた獰猛な小動物ヘグ。学院の大魔術師の先生たち。誰もが魅力的である。
言葉を大切にする物語だから、彼らが語る言葉も示唆に満ちている。

この作品が書かれたのは1968年、なんと私が生まれる前だったのだが、全く古さを感じなかった。
良質なファンタジーを読んだなあという満足感がある。飾り気のない、素朴で無骨な雰囲気がまた良い。
子どもの時に出会っていたら良かったな。
いや、今だからこそ、実感となって迫ってくるということもあるのかもしれないけれど。